β運動の岸辺で[片渕須直]

第104回 日本チーム敗退す

 まずは、前回の原稿を編集部へ送ったあと行われたメールのやり取りから。

小黒「ひょっとして、横田さんとの打ち合わせで使った『井の頭公園の茶店』とは、アニメージュの『この人に話を聞きたい』の撮影で使った店なのでしょうか」
片渕「そうです、そうです! なつかしいです」
小黒「ああ、やっばり。撮影場所に片渕さんが茶店を選んだときに、なにか理由があって選ばれたような気がしました」

 『アリーテ姫』が出来たあとの頃にインタビューしてもらったときの話だ。
 何か理由があったのかどうか、あまりうまく思い出せない。吉祥寺というと、そこしか思いつかなかったのかもしれない。ただ、ああいう場所でゆっくり話をするのが、開放感あることに思えていたのだろうし、今でもそう思う。横田さんならではの型にはまらなさに、魅力を覚えてもいたのだろうし。
 ということで、その写真は、単行本「アニメクリエイター・インタビューズ この人に話を聞きたい2001-2002」にも収められている。

 話を元に戻して、1998年のクロアチア・ザグレブ。
 このコラムの原稿は、当時のメモだとかはまったく見ずに(日記をつける習慣もないのだし)、ほぼ記憶だけで書いている。ただ、日時だけは少しはっきりさせられないかと、何かのよすがを探してみたりもする。
 ザグレブへ行ったのが1998年なのは間違いないのだけど、それは何月だったのか。
 確か、こちらがザグレブへ行くことになったことを話していたあたりで、当時まだ携わっていた『ちびまる子ちゃん』のダビングのとき、音響効果の松田昭彦さん(フィズサウンドクリエイション、『名犬ラッシー』でもお世話になった)が、
 「息子と2人でワールドカップを観にフランスへ行くんだ!」
 と、張り切っておられた。この大会は、旅行代理店の観戦ツアー・オーバーブッキングが問題となり、松田さんもその次のダビングのときには、
 「行けなかった……。がっかりだよ」
 と、ほんとうに残念な顔でお目にかかることになる。
 で、この大会では、我々がザグレブにいる間に「日本—クロアチア」戦が行われてしまうのである。「敵地」にあってもし日本が勝ってしまったらどうなるのか、と思いつつ、ザグレブへ赴いたのだった。
 ということで、日本対クロアチアの試合は、6月20日だったとインターネットが教えてくれるので、ザグレブ国際空港に降り立ったのはその数日前ということになる。
 当時、数年前までボスニア紛争で盛んに揉めていたためか、クロアチア国内に日本人はほとんどいなかったようだった。前回だか前々回のザグレブ国際アニメーションフェスティバルでは、開催中に空襲警報がなったとも聞いた。少し大きな建物(当然病院なのだろうと思うけど)の屋根の上に、大きな赤十字の対空標識が描かれたままになっているのも見た。
 日程的には、開会式のセレモニーがあって、大会側がゲストを招待して山の方に行くピクニックがあった。といってもこれは山歩きするわけでも野外で炊飯するわけでもなく、山小屋みたいなホテルだったかに車で行って、いわゆるバイキング形式の立食パーティみたいなことだった。このとき、自分の皿に盛った食べ物は写真に撮って、そのまま、『アリーテ姫』本編で、城の高い塔にいるアリーテに出される食事として使ってしまった。
 コンペティションでの『この星の上に』の上映は、6月19日だったはずだ。ただ、その直前、1本前に上映されたのが、アレクサンドル・ペトロフの『マーメイド』だったりしてしまうのだった。どうしても輪郭線を大事にしてしまう我々の仕事からすると、ペトロフの油彩ガラスペインティングは、もちろん技法自体は知ってはいたのだが、目の当たりにさせられると強烈な印象があった。この大会のグランプリはペトロフ作品の上に輝いてしまうのである。
 その翌日、気持ちを取り直すため、南家さんと2人で列車に乗って小旅行に行くことになった。自分としては、『アリーテ姫』的風景を求めて、中世の町ドブロブニクか、もしくは隣国スロベニアの首府リュブリャナ(といっても、クロアチアと同じ旧ユーゴスラビアの一部)まで行ってみたくもあったのだけれど、ドブロニクへは長距離バス、リュブリャナには飛行機で、ということになるようで、乗り物が不安だったので、列車で、ということになった。
 目的地はクロアチアのアドリア海岸の町リエカ。この町は旧イタリア領で、建物も食べ物もイタリア風であり、クロアチアにいながらイタリアを楽しめて二度美味しい、という感じ。ただ、せっかくのアドリア海は曇りだった。せっかく梅雨の日本を離れてきたというのに、こちらも湿度が高くて蒸し蒸ししている。
 ところで、この日、クロアチア時間の昼頃、フランスでサッカー「日本対クロアチア」戦が行われる。なんだか、当地ではサッカー観戦に熱心なようであるし、日本が勝ちでもしたら我々の身はどうなってしまうのだろうか。小心翼々となりつつ町を歩くと、案の定酒場みたいな店が昼間から開き、労働者階級みたいな人たちが詰め合わせている。
 「何対何かね?」
 と、その一軒をのぞいて、TVをちらっと見ようとした折りしもそのとき、クロアチア側がゴールを決めた。と、町のどこかで、「ボン!」と大きな音がした。興奮して放たれた銃声なのだろうか(ただの物音だったのかもしれないのだけど)。
 リエカからの帰りの列車は、よくありがちなことに遅れに遅れ、8時間くらいかかってザグレブに帰り着いた。と、駅前をクロアチア国旗をはためかせた車が走り回り、酒瓶握って上半身裸体の若者たちが車体に貼りついていた。その騒ぎっぷりを見るだにつけ、日本チームと日本のサッカーファンには申し訳ないのだけれど、正直、負けてくれてありがたかった。
 翌日、ザグレブの町中を散歩していたら、道で仕事していた建具職人にいきなり肩を叩かれ、慰められてしまった。という人情も味わえたわけで。

第105回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.11.21)