β運動の岸辺で[片渕須直]

第102回 ヨーロッパへ行こう

 少し話がさかのぼるが、『アリーテ姫』の準備体制を整える時期、1997年頃には、アニドウ・フィルムの『この星の上に』にも関わっていた。この作品は、神奈川県立地球市民かながわプラザという施設で定時上映する展示映像の仕事をアニドウのなみきたかしさんが受注してきたものだった。
 なみきさんには自分がプロデュースするならそれなりの意味を持たせたいという思いがあり、仕事として受けた以上のものを傾けてでも、独立した「作品」として成立させるべく、布陣を敷いていた。アニメーション・南家こうじさん、脚本・翁妙子さん、撮影・白井久男さんのスタジオコスモス、そして、動画にはなみきさんの古巣のオープロダクション、音楽にはなみきさんの大好きな坂田晃一さん。
 ストーリーは翁さんが組上げてしまうのだし、画面の基本的なものは南家さんが作ってしまうので、片渕某などはここに加わって、初段のストーリーの打ち合わせにちょっと噛んだ後は、南家さんが描かれた素材を撮影に回せるようにするとか、仕上げのスタジオを紹介するとか、そんなことをしておればよいくらいのものだった。南家さんの仕事をそばで眺められるのが役得だった。
 ただ、考えてみればこの編制には録音監督が存在しておらず、それは演出役の自分がやるしかないようだった。録音監督の仕事は後でいくつかやるようになってゆくのだが、これがその皮切りだったように思う。芝居の録音も当然演出したのだが、それより何より、いきなり坂田晃一さん、あの『母をたずねて三千里』の音楽家相手に音楽メニューを書いてしまったりしたのが、ちょっとした度胸ものだった。おまけにその坂田晃一さんから「質問がある」と、拙宅に電話がかかってきたりして、一層どぎまぎした。
 音楽の録音は青山通りだったように覚えている。録音を終えて外へ出ると、街路樹がクリスマスの電飾で輝いていたから、これが1997年の年末だったのだろう。
 元々のスケジュールではフィルムは11月前には完成している予定で、アニドウとしてもお披露目上映の場所を取っていたのだが、これは別の映画の上映に差し替えられていた。ちゃんと完成してお披露目できたのは、年もあらたまった1998年1月28日のことだ。その翌日だったか、納品先である横浜本郷台の神奈川県立地球市民かながわプラザまで赴き、そこで携帯電話を受けたアニドウの金子由郎さんの顔が急に暗くなったのを覚えている。金子さんが以前スタッフとして仕えていた石ノ森章太郎さんが亡くなった、というのである。

 その1998年夏、我々は『アリーテ姫』準備室で、暑い夏を耐えていた。なみきさんから電話をもらった。『この星の上に』を、ザグレブ国際アニメーション映画祭に出品して、入選したので、ザグレブに招待される、というのだった。
 ちょうどこの頃、『アリーテ姫』では作画監督を尾崎和孝君にお願いすることにして、準備室の第3番目の机を埋めてもらうことになったばかりだった。森川さんがキャラクターを作りつつある横で、尾崎君にはお城のデザインを取りまとめてもらうことにして、自分はザグレブへ、クロアチアへ出かけてしまうことに決めた。なんといっても、本物のヨーロッパへ無料でロケハンに行けてしまうのだ。
 参加メンバーは、南家こうじ、片渕須直、なみきたかし、金子由朗。クロアチアへの直行便はないので、1泊目はロンドンで、ということになる。
 ヒースローで降りたロンドンでは、なみきさんが森淳さんに紹介してもらっていたというギリシア料理の店に食べに行った。森やすじさんのご長男森淳さんは、イギリスで映画監督をされていて、エーゲ海を舞台にした映画を撮ったりされていた。今回『この星の上に』を海外で上映するにあたっての映画字幕は、森淳さんに翻訳していただいている。
 翌朝の英国風朝食はすごく早朝に準備してもらって、残念なことに駈け足のように詰め込んで、ガトウィックからザグレブ行きに乗り込む。たしか、中が狭っ苦しいボーイング727だったと思う。チロルアルプスを飛び越えて見えてきたクロアチアの田園は、以前空から見たドイツよりもずっと緑が濃かった。ところどころ垂れ込めた雲の中で、雷が光っていた。
 着陸したザグレブは、旧オーストリア・ハンガリー二重帝国の地方首都。市街地の建物は18世紀の大都会そのままで、しかし、旧市街はもう少し古いたたずまいの赤い瓦屋根がたくさん残っていた。西ヨーロッパよりもよほど中世的だ。
 この当時はまだデジカメにはなっておらず、APSのカメラを使っていた。こいつのカートリッジ式フィルムは、普通の35ミリより小さな24ミリでしかなかったが、アスペクト比16:9なのだ。ファインダーをのぞくだけで、劇場版の「枠」がそこにある。

第103回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.11.07)