β運動の岸辺で[片渕須直]

第95回 夕日が沈むまでが残された今日

 ひとつだけ、『名犬ラッシー』のことで拾遺。
 後先考えず、第1話で飛行機から牧場へ降り立たせてしまった少女のこと。彼女の存在は、当然、後半の展開への伏線なのだが、これをはどこかで使ってゆかなければならないものだった。
 8話までで、主人公ジョンとその飼い犬ラッシーの関係性は、ひととおりエスタブリッシュメントされた。なので、9話以降数本かけてこの公爵令嬢プリシラにまつわるエピソードを挿入することにした。
 ジョンとプリシラが知り合う場面を、牧場の生け垣の中に双方左右から頭を突っ込んだ状態で行いたい、と脚本打ち合わせで述べたら、局の編成プロデューサーから猛反対された。彼はたしか自分と同年生まれだったと思うのだが、切れ者で、自分でも演劇の台本を書いたりするような人だったはずだ。何をどう思われて反対されたのだか。ロマンチックではない、と思われたのだろうか。
 「だって片渕さん、今までそんなシーンが出て来るの、映画で見たことありますか?」
 とまでいわれた。
 見たことないのなら、それでいいではないか。
 唐突で印象的な出会いとは特別なものであるはずだ。この時点でプリシラが希求しているものの象徴として、ジョンとラッシーが彼女の眼前に登場するのだとしたら、それは普通の出会いではないはずなのだ。シリーズが打ち切られることは仕方ないにしても、ここは貫かせてもらった。

 プリシラの人となりのイメージは、実はこの時点で抱いていたアリーテ姫のキャラクター像を流用してしまっていた。アンネ・フランク的な文学少女だとか、たまたま帰宅の車の中で聞いたラジオドラマの「ソフィーの世界」のソフィー(島本須美さんが演じておられた)だとか、そういったものをまとめて漠然とアリーテ姫のイメージとして自分の中に転がしていたのだった。世間知らずだが、世間のあらゆるものに触れ、それを楽しんでみたいアリーテ姫。
 いまだ構想中のままになっていた『アリーテ姫』では、アリーテの塔を訪れる騎士2名のほかに、自ら意を決して塔に登らないことを決めた3人目の少年騎士を作っていた。彼には人の心を思い図る能力があったから、塔には登らないのだ。そして、魔法使いから与えられた2番目の難題「機械仕掛けの銀色の馬」を見つける旅の途中、アリーテはそうとは知らずこの少年と出会い、それぞれの未来のことを語り合って、そして別れ、それぞれの道をたどる。そういう展開になるはずだった。その辺の感触めいたものをプリシラで蔵出ししてしまっている。

 この次の10話では、ジョンの家を訪ねてきたプリシラがケーキ作りに挑戦し、そこでサンディと出会う。ケーキ作りのプロセスは、いったい何ケーキを作るのかというところからはじめて、絵コンテの寺東克己さんが克明に調べ、プランを作ってくれたのでたいへん助かった。なぜか、この回の脚本はいつもの松井亜弥さんでなく、その夫君、というか男性の三井秀樹さんだったりしてしまっていて、ケーキのレシピなんかにはいささか詰めきらないところが残っていたのだった。
 このケーキ作りは、結局女の子2人のがんばりどころになって、プリシラが訪ねてきた本来の相手であるはずジョンは、おミソになって家の表にはみ出してしまう。「あの感じがおもしろかったです」と、あとで小黒祐一郎氏から感想をいただいてしまうのだが、そういうところが、女の子2人の『マイマイ新子と千年の魔法』につながっていったりしてしまうのだ。

 プリシラはやがて自分が本来いた場所に戻らなくてはならなくなる。その前の最後の一日を岩のトーに登ることに費やす。この岩山なのだかなんだかよくわからない、文字どおりヒースの荒野にそびえる「岩の塔」であるものは、『名犬ラッシー』の原作にも登場する。6話で嵐が去ったときそびえる姿の健在を示しておいたりしたのだが、やはりその先どう使うのか深く考えずにいた。まさかプリシラと絡めて使うことになろうとは思ってもいなかった。その中に「王様の椅子」があろうなどとも、自分で絵コンテで描くまで全然知らなかった。
 ここで、以前大塚康生さんから聞いた話を思い出していた。いつの頃の話なのか、大塚さんが高畑勲さんと2人で尾瀬の至仏山(それとも燧ヶ岳だったか)に登ったとき、山頂で高畑さんが降りない、といいだした。
 「だって、想像してもみてくださいよ。ここで夕日が沈むところを眺めなきゃ、何のために登ってきたのだか」
 現実的な常識のある大塚さんは、闇の中下山する怖さを考えて反対したのだが、
 「いやあ、パクさんがなかなか動いてくれなくって」
 山。
 夕日。
 使える記憶は何でもよい、使え。
 そうだ、プリシラは岩のトーの上で夕日を眺めるために登るのだ。それが、彼女に残された最後の時間、最後の今日の使い方なのだ。
 あの高みにだけは、まだ沈まぬお日様の光が当たる今日がある。
 それを目指して、彼女は登る。
 現実には制作打ち切り内定済みという状況下、放映を何話で終わらせるかというタイムリミットが迫ってきつつある。自分自身は最悪の欝状態の中にあり、もはや人と口をきくのもしんどくてかろうじて、という状態だった。それでもこうして「前を向いてひたすら登る子どもたち」を描こうとしていたことを思うのだが、いや、もうそれ以上何をいってよいのかわからない。

第96回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.09.12)