β運動の岸辺で[片渕須直]

第93回 すべてやわらかく世界を見つめる眼を集めて

 『名犬ラッシー』の第5話では、ザリガニ料理が出てくる。これは、スウェーデンの画家カール・ラーションの絵に、スウェーデン毎年8月10日のザリガニ漁解禁を描いた水彩画があって、これからヒントを得たものだった。ちなみに、8月10日は自分自身の誕生日で、それゆえ、「誕生日」「そのお祝いをザリガニ料理で」とつながる話を思いついたのだと思う。
 カール・ラーションは、かなり以前、おそらく『NEMO』の頃に日本語版が出ていた画集を1冊買って持っていたのだが(今調べると、この画集は1985年に出版されている)、『魔女の宅急便』のロケハンでスウェーデンに行ったとき、画集をいっぱい見つけて買い込んで持ち帰っていた。この画家はしばしば自分の家族が家の中で見せる姿を画題にしている。妻カーリンと7人の子どもたち(スザンヌ、ウルフ、ポントゥス、リスベス、ブリータ、チェシュティ、エースビョーン)が日常に見せる姿を描くとき、彼が向けるまなざしが柔らかくって、やさしくて、日々の暮らしのディテールを感じさせ、ユーモアに満ちていて、そういうものが大事だと思ったのだ。
 ラーションが描く彼自身の子どもは、同じ人物が赤ん坊の頃であったり、ずっと成長してほとんど大人になった姿だったりする。あわせて背景となる家の中も、単に時が移ろったというだけでなく、その間に加わった人の手のために変化していたりする。ドアの上に画家自身が描いた装飾が、いつの間にか別のものに変化していたり、大きくなった娘も筆をとって、調度に装飾を描きこむようになっていたり。そうした時の流れが染みている。

 そうだ。
 もう少し先の話だが、13話に出てくる牛バターカップも、カール・ラーションが描いた牛舎にいる雌牛の絵を眺めていて思いついたのだったはずだ。この13話は英国の作家ポール・ギャリコが書いたお話の影響も受けている。
 ポール・ギャリコを知ったのは、高校生だった頃。先輩が作った8ミリ映画のBGMとして、かわいらしくって心地よい曲が使われていて、あんまり気にいったので、このレコードのライナーノーツを読んで、これがギャリコの代表作「スノーグース」を題材にしたものだと記憶したのだった。
 どうも、自分は『名犬ラッシー』を作るにために、自分の中にある、ある特定の毛色の印象を持つものを総動員して、あたっていたようだ。

 そういう意味では林明子さんの絵本なんかも欠かせないのだが、もっと欠かせないのはロベール・ドアノーの写真だったりした。
 教室で石板を前に計算するジョンは、ドアノーがパリの学校に通う子どもたちをユーモラスに撮った写真から引用している。
 ドアノーの写真集とカール・ラーションの肖像画集は、キャラクターデザインの森川聡子さんにも渡していて、ヨーロッパの人々を描くための造形的な参考にもしてもらっている。『ラッシー』には、2階の窓辺からいつも町を眺めていて、町中の出来事をすべて知っているという、魔女のようなフォレストのおばあさんが出てくるが、この人物のデザインなんか、ドアノーが撮ったジプシーの老女そのままのはずだ。
 ドアノーの写真集はこのあとに作る『アリーテ姫』でも「ACE COMBAT 04」でも活躍してくれている。『アリーテ姫』のときなど、もういちどキャラクターデザインをお願いした森川さんの方から、
 「また参考にしたいから、あの写真集ありませんかね?」
 と、リクエストがあったほどだ。

 1996年の正月は元日1日っきりしか休まなかった。
 放映開始が間近に迫っていたにもかかわらず、完成フィルムのストックは1、2本しかなく、にもかかわらず自分自身の手元には第6話めの絵コンテがまだ完成にほど遠い姿で横たわっていて、休んでいるどころではなかった。家にも絵コンテを持ち帰って、結局、その元日も自宅の机で何かゴソゴソやっていたはずだ。くたびれるより疲れ果てるより、、少しでも前に進めるのならそのほうが気が楽だった。むしろ、気が楽になりたいものだ、と思ってあがいていた。
 この6話あたりから、アフレコ用のフィルムの状態が悪化した。記憶にある限り、4話はまだ画面がちゃんとあるものに対して、台詞を吹き込めていたはずだったと思う。だが、6話は、画面なんか全然でき上がらないままアフレコに臨まなければならなくなって、夜中の編集で白味に色マジックで線を引いて、台詞のタイミングを作ったりすることになってしまった。

第94回へつづく

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(11.08.29)