β運動の岸辺で[片渕須直]

第84回 遥かなるヨークシャーへの道のり

 話をうーんと元に戻して、1995年の半ばころ。『あずきちゃん』と『ちびまる子ちゃん』の仕事を重ねてやっていた頃のことだ。仕事場にいる時間は『あずきちゃん』のマッドハウスのほうが圧倒的に長く、『ちびまる子』の日本アニメーションへは顔出し程度に行く感じだったが、それでも、以前、世界名作劇場の絵コンテをやっていた頃には1本ごとに1回きりの打ち合わせのときしか日本アニメに足を運ぶ機会がなかったから、それでもずいぶんと「足繁く」という感じに思えたし、中にいる人たちと顔をあわす機会も増えた。
 そんなある日、次の世界名作劇場では社内に入ってメインスタッフとしてやってくださいよ、といわれた。メインスタッフといっても、ここの会社は社員でないと監督になれない内規があったので、監督ではなくてその参謀長みたいなポジションで、ということだった。タイトルは『名犬ラッシー』なのだ、とも。
 自分たちの世代にはこの題名はなじみ深い。子どもの頃、アメリカの連続TVドラマの「名犬ラッシー」はよく見ていた、かな? いや、実のところ「わんぱくフリッパー」のほうがよく覚えている。イルカのフリッパーは「キキキ!」と笑い声みたいな声を上げてはしゃぐのだけど、コリー犬のラッシーは「クーン、クーン」と悲しそうな声で泣くようにしていたのが心に残っている。見ている子どもとしてはご陽気なイルカのほうが楽しみなものだ。
 同じく子どもの頃に読んだ本で、家から遠く離れた土地で飼い主とはぐれた犬が、その後、長い長い距離を歩いて飼い主の待つ家まで帰ってきたことがあった、と載っていて、それが「名犬ラッシー」と関連づけて書かれていたことにちょっと驚いた記憶もある。TVドラマの「名犬ラッシー」って、毎日毎日男の子と行動をともにしていたようだったけど、ほんとうはそんなお話だったのか、と。

 で、この一番最初に声をかけられたときには、昔のアメリカのTVドラマみたいにアメリカを舞台にするのがいいか、原作のままイギリスを舞台にするのがいいか、とたずねられた。自分にとっては、アメリカのだだっ広い中西部だとか全然イメージが湧かないのに対して、英国のほうは児童文学のふるさとみたいなところがあって、
 「そりゃあイギリスですよ、イギリス」
 と、答えておいた。
 「キャラクターデザインは誰がいいと思う?」
 とも聞かれたので、『七つの海のティコ』の森川さんはよかったから、森川さんがいいんじゃないの、と、いっておいた。
 しばらくしてまた日本アニメに行ってみると、両方そのとおりになった、という。
 「はい?」
 『名犬ラッシー』の舞台はイギリスになったし、キャラクターは森川聡子さんがつくることになったのだ、と。
 正直いってそのとき思ったのは、「そこまで責任もてない」ということだったりする。自分は確かに自分自身の好みであったり、自分がものづくりするならこういうふうに設計してゆきたい、という部分でそんなふうに口に出してみたけれど、所詮は言葉の端々に過ぎない。現に、この社内にいる別の監督クラスの演出家の人は「自分ならアメリカを舞台にするけどね」といっていたというのだし。
 自分の発する言葉を認めてもらえるのはありがたいのだけど、そうだとすると、その背後にある考えだとか何かをもっと自分自身で深めていかざるを得なくなってくる。これからどういう立場でかこの作品に対して述べる「言葉の端々」には十分な「根拠」が必要になってくるし、それは全うされなければ意味を持たない意図であったりしてしまう。
 といいつつも、もういくらかアイディアめいたものを出してしまったような気がする。ラッシーは子犬のとき主人公と出会うことにして徐々に成長させていこう、ということだったかもしれないし、主人公ジョンの母親を職業婦人にする、というようなことだったかもしれない。深入りすればするほど後に引けなくなる。ことは一点一画の話ではなく、作品全体の重心を限られた支点の上から外したら崩れるバランスの問題になっていってしまう。

 そうこうするうちに、第1話のシナリオの第1稿まででき上がってきてしまっていた。自分の知らないところで打ち合わせされてでき上がったというその原稿を見て、いろいろ困った。クライマックスにあたるところで、子犬を避けようとした荷馬車が町の真ん中で横転して大騒ぎになっていた。そうしたドタバタ劇に向かうのだとするなら、自分の出る幕ではなくなる。
 自分の考えていたのは、「事件」ではなく「生活」からの視点を重視したいということだったし、そこで子どもが子どもらしくあることだったりしたのだと思う。子どもがどうとかいうレベルを超越したドタバタ的事件がいくらでも起こり得る世界なのなら、そうしたことはまっとうできないような気がした。
 どうすればよいのだろうか。
 おとなしく身を引くべきなのだろうか。
 どうも、それができないところまで、いつの間にか深入りしすぎてしまっていたような気がした。
 自分が出したいくつかのアイディアのようなものは、少なくとも自分自身の中では登場人物それぞれの人物像、「人間」と結びついており、彼らもまた『LITTLE NEMO』や、虫プロそのほかで考えたいくつかの企画や、そしてこの時点では水もの同然だった『アリーテ姫』同様、形をとらぬまま、まるで初めから存在などしなかった何者かとして蒸発していってしまうしかないのだろうか。「物語」はもはや「生活」にまなざしを置くことを許されないのだろうか。

 そういうようなことを、現場の知人たちに話してみたら、
 「なんとかなんないのかねえ」
 という声をもらってしまった。
 そこから力学的なことがいくつか起こり、「社員になった上で監督をやってもらう」といわれることになる。
 すでに10月になっていた。1月の放映開始まで2ヶ月。企画が決まるのが年々遅くなる、といわれていたのだが、TV局の側としても、日曜日のゴールデンタイムをバラエティ番組に回したがっているようであり、そうした逡巡だか綱引きだかがあったがために、企画決定も遅れていたのだろうと想像するのは難くない。

第85回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(11.06.13)