β運動の岸辺で[片渕須直]

第80回 体の可動範囲について

 あるときふと、自分の右と左の掌を合わせてみたら、なんだか右手のほうが大きいようだった。左手の指先よりも右手の指先のほうが先にあった。よく見たら、手自体の大きさが違ってるのではなくて、左手のほうが全体に丸まっているのに対し、右手のほうはピンと伸びていた。何気なく開いた手が、右手の方が筋が伸びていて、より柔軟に開いていたのだった。というようなことに気づいたのは、毎週ペースで絵コンテを上げるようになっていた時期のあとのことだった。素直に、右手のほうをより働かせていたのだなあ、と思うことにした。

 その昔、とある動画マンの利き手を見せてもらったら、鉛筆を握るとき軸を支える中指の側面に大きなペンだこが盛り上がっていた。だけでなく、そのペンだこは、普段仕事で使っている鉛筆の形そのままに六角形に窪んだ形になっていた。動画のきれいな線を引くために、鉛筆の先を紙に押しつけるのではなく、鉛筆の軸を中指に押しつけることで筆圧をコントロールしていたのだった。ペンだこの六角形は、あたかも彼の指が最初からそんな形であったかのように、完全に鉛筆と一体化していた。
 また別のとある動画マンの話。仕事場の机の配列を並べ直すために移動してみたら、彼女の椅子の足元の床面に、黒いふたつの跡が残っていた。座っていたのが車輪が5つついた事務椅子なので、キャスターの跡は5つ床に残っていてもよさそうなものだが、ふたつしか残っていなかった。本人に聞いてみたら、線を引くときそのふたつの車輪がついた椅子の脚に自分の足を乗せて踏ん張っていたのだ、ということだった。床に残った黒いふたつの跡はきわめて小さかった。毎日毎日完全に同じ位置に椅子を置いて、毎日毎日まったく変わらない姿勢をとり続け、机と自分との位置関係を固定し続けた結果なのだった。速く線を引くためには、自分の引きやすい角度で鉛筆を動かせ、紙のほうを回して角度を変えろ、といわれていた。

 そうした極端な集中力は自分には無縁なものだと思っていた。長いこと同じ姿勢で机に向かうのなんて大の苦手だったので、当然、試験勉強なんかも苦手な子だった。大塚康生さんは「1カット原画を上げるたびに、人と雑談しにいって会社を一周してくる」という感じだったが、そういうほうが自分にはよりよく理解できた。右手のほうが伸びちゃって大きくなってるな、と気づいた時期でも、絵コンテをそれなりの速度でこなしながら、適当にちゃらんぽらんしていた。
 それがどうも、ここ1年くらいの自分の仕事ぶりにはあきれてしまう。撮出しと称する画面の最終的な構成だとか、撮影素材個々のチェックを繰り返してきたわけなのだが、これに使うマスターモニターが社内に1台しかなく、タイムシェアリングの都合上、使用時間が限られてしまった。作業量は膨大にある。必然、集中して仕事に臨まなくてはならない。
 トイレに立つのもままならない。食事も外に出られないので、社内の同じフロアにある自販機で売られている菓子パンかせいぜいカップ麺ですます。にしても、カップ麺は手間と時間がかかって面倒だ。この自販機にはおにぎりが入っていることもあって助かった。さらにその隣の自販機には缶入り味噌汁などのレパートリーも入っていて、さらに助かった。にもかかわらず、この缶入り味噌汁は3月11日の震災のあと、この自販機から消えうせてしまった。被災地でお役に立っているのならよいのだが。
 とにかく、トイレと食事に費やす時間すら最小限にして、あとはまったく同じ姿勢でパソコンの前に居座らなくてはならない。はじめは、パソコンをオペレートする助手を立てることも考えてちょっと試してみたりもしたのだが、自分が感じたものが自分の右手を通して即座に表現されるのが何よりスピーディと気づいてしまったのだった。
 「考えたこと」ならば他人に伝達することもまだしも可能なのだが、「感じたこと」を即座に伝えるのはなかなか手間なのだ。伝えられる側は、それが整理された情報、考えた結果であることを望むのだが、そこに落とし込んでいる時間すら惜しかったのだった。
 こうしたことも、自分は「考えて仕事をしていない」ことの現れなのだと思う。「表現」というものをそういうものだと思っているふしが自分の中にあるらしい。
 もちろん、その間には絵コンテを切ったり原画をチェックもしたし、編集は音響の作業もあったから、そうしたことがすべてであったわけではないのだが、最終的に自分が追い詰められてゆくのはマスターモニターの前で、画面表現の前線で、なのだった。
 自販機の前に這い出していって、
 「ここにあるものしか食えるものがない」
 とこぼすと、
 「そういう状況にまんざらでもないようにも見えるけどね」
 と返されてしまったことがある。ひょっとしたらそうなのかもしれない、ともちょっと疑ってみる。真っ暗い部屋の中、マスモニの前でまったく姿勢を変えることなく、次から次に仕事をこなしてゆくヒロイズム? いや、本当にそういうものだったのかどうだか、よくわからないままにいる。

 仕事を全部終えたら、体中バキバキになっていた。体の各部の可動範囲を極端に狭めた生活を送っていたので、あちこちが強張りきっている。
 次の仕事への着手は、自分の体のストレッチから始めなくてはならない。それこそが次なるものへの第一歩なのだった。それさえすんだら、とりあえずロケハンにでも出かけようと思う。

第81回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.05.16)