β運動の岸辺で[片渕須直]

第67回 色の問題

 デジタル化を導入したとはいえ、「大砲の街」ではデジタル彩色は行われない。とりあえずコンピュータを扱えるのが安藤君ただひとりしかおらず、仕上部はデジタル仕上技術にまったく手をつけていなかったし、だいいち作品のほとんどに登場するのは「普通に」セル塗りされたキャラクターなのであって、それとの整合もとらなければならなかった。
 となると、本編中に4ヶ所ほど挿入されるデジタル処理パートに登場するキャラクターはどう処理されるのか。まあ、そう。セルに塗って、塗ったセルをスキャナーで取り込むのだ。
 しかし、そうした場合、フィルム撮影のパートとデジタルパートで、セルの色調は同じに表現されるのだろうか。これがあり得ない話なので厄介なのだ。
 セルに絵の具に色を塗っていた時代には常々感じていたのだが、塗ったセルの絵の具の色と撮影されてフィルム上に定着された色は、全然一致しない。色彩設計する場合も、「この色はフィルムで撮るとこう転ぶから」という変換を常に頭の内側で行いつつしなければならなかった。その場合、使うフィルムがイーストマン・コダックかフジフィルムかで色の出方は変わってしまうし、同じメーカー内でも何種類か発色特性の違うフィルムを発売していた。さらには、フィルムをテレシネにかけてビデオ信号に変えればまた色は変わってしまうのだが、そこまではあまり考えないことにしていた。我々の作業的には、フィルムが一応の終点と考えるのが、とりあえず妥当だったのである。あまりにも厄介だからだ。
 そのような前提が頭の中にあったので、同じセルをフィルムに撮るのとスキャナーで取り込むのでは、当然色が変わってくるだろうくらいの予想はごく当然にできた。
 にもかかわらず、大友さんのコンテを元に自分が設計し直した限りでは、フレームの中を歩くキャラクターが、その歩きの途中でデジタル処理からフィルム撮影に乗り変わらなければならないところができてきてしまっていた。前後でできるだけ色調は一致させなくては話にならない。

 とにかく、こういう場合はテストを撮ってみるに限る。
 デジタルからフィルム撮りへの乗り変わりのある場面の動画ができあがってきたところでセルに塗ってもらい、「カメラでフィルム撮影」のものと、「スキャナー→デジタル処理→フィルムレコーダー」としたものを作ってみた。両者のフィルム上での色調を比較してみた。
 案の定、まったく違っていた。嫌になるくらい。
 どうすればいいのか?
 嫌になっていてもはじまらず、ここは強引にでも色調を合わせてゆくしかない。
 問題が複雑なのは、スキャナーで取り込んでパソコンのモニター上に映し出された画像は、フィルムスキャナーにかけてフィルムに焼きこんだとたんにまたしても色が変わってしまうことだ。モニターの発色があてにならないのなら、何を基準に色を合わせてゆけばよいのか。

 まずはモニター上の見た目の色調と、フィルムレコーダー出力されたフィルムの見た目をできる限り一致させることだ。
 フィルムレコーダー出力されたフィルムのコマを切り出してもらって自分たちの仕事場に持ち帰ってきたが、それだけでは何の役にも立たない。フィルムは、映写機のライトの色調が投げ込まれて最終的にスクリーン上に映写されて色調が決まるからだ。
 そういう場合のために、標準的な色温度の光を放つライトボックスがある、とイマジカの技術の方に教えてもらった。これを4℃で1台買ってもらう。
 一方で、モニターもキャリブレーションしておく。ただ、モニター面に外光が反射すると明るさも色合いも変わってしまう。暗室を作ってその中にモニターを持ち込んでしまえばいいのだが、そうもいかず、ここはひとつ、暗幕をモニターにすっぽりかぶせることにする。その中に安藤君と自分、男子2人が仲よく頭を突っ込むことになった。
 光るライトボックスに乗せたフィルムの上の色調と、モニター上のデーターが一致するように、調整する。
 カラーチャートもスキャンしてフィルムレコーダー出力し、どの色がどう「転ぶ」のか確かめつつ調整してゆく。
 調整自体は、何かが演算して生成してくれるわけでもなんでもなく、自分たちの目で見た見た目と、自分たちの色彩感覚による手作りということになった。
 「コンピュータで画像を作るっていっても、所詮はこういう『人間の勘』の世界なんだ」
 という、今ともなればごく当たり前なことが、「コンピュータって何ができるものなの?」程度の意識しかなかったデジタル化導入の初っ端でいきなり体感的に理解できてしまったことは、自分にとってとても意味あることだったと思う。

 この「モニターにかぶせた暗幕」は、スタジオ4℃最初のフルデジタル作品『アリーテ姫』では、黒いカーテンで仕切った小空間となり、会社を移って作った『マイマイ新子と千年の魔法』では垂木を組んで小屋みたいなものを作った上に暗幕をかぶせた形になった。
 こういうあたりは全然進化していない。
 モニター上の見た目とフィルム出力が一致しないということでは、『マイマイ新子と千年の魔法』でもあいかわらず苦労している。
 この作品の場合、高価につくフィルムレコーダーは使わず、いったんハイビジョン映像に作ってから、レーザー・キネコでフィルム上に焼き付ける方法を採った。このほうが安くつく。しかしながら、テストを採ってみたら、モニターで「緑」に映っているものが、ほんのわずか色相が黄色のほうに振れるだけでフィルム上では黄色になってしまい、ほんのわずかシアンに振れるだけでフィルム上では緑みの水色になってしまった。
 ほとんど恐怖だった。『マイマイ新子と千年の魔法』という映画は、はるかかなたまで広がる青麦畑の豊かな緑が作品の根幹を占めているはずなのだから。
 モニター上で肉眼ではほとんどわからないくらいの色相の振れが、フィルム上ではまったく緑ではない発色になってしまう。
 この辺は、すごく苦労した、というしかない。
 六本木の文化庁メディア芸術祭での『マイマイ新子と千年の魔法』の上映は、デジタルベータカムに収録されたデータをプロジェクターで上映する方法になった。これまでフィルム上映のソフトな色彩を繰り返し観てきた観客にとっては、面食らうような「緑の彩度の洪水」だったに違いない。どっちの色が正解なのか、こちらの立場でいい切るのはもはや難しい。

第68回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.02.14)