β運動の岸辺で[片渕須直]

第41回 まだまだつづく

 2010年7月の第1週は『BLACK LAGOON』第26話を完成に持ち込むために大童になり、ほんとうに腰が抜けるかと思った。
 監督は作品の方向性とクオリティの基準となるために存在しており、各話のスタッフの手ででき上がってきた映像に対し、場合によりリテイクを出したりすることになるのだが、あまりに残り時間が少なくなってしまうと、リテイクを出したりそれを処理したりすることもままならなくなる。だもので、こういう場合は思い切って「リテイクを出さないようにする立場」と自分のことを割り切るしかなくなる。そういう意味合いで、撮影に回す前の素材を徹底チェックすることになる。
 一方で、マッドハウスには、色の基準にするためのマスターモニターが1台しかなく、当然他の作品班も大忙しという状況の中、これを我々だけで占領し続けるわけにもいかない。うちの班の制作がマスモニのスケジュール取りをしてくれるのだが、当然終日というわけにいかず、「10時から19時」くらいを占拠するのが精一杯となる。こうなると、こちらが朝型なのが効いてくるわけなのだが、ケツカッチンは厳然としている。#25のはじめの方では監督助手の白飯がオペレートしてくれようとしていたのだが、正直、時間がなくなってくると、判断と同時に動く自分自身の手で切り盛りしてゆくのが一番早い。何せ、撮出し生活29年なのだし。
 こちらのマスモニ使用時間が過ぎるまで、大暴風のような作業を繰り返し、いつもならいくら忙しいといっても近所のコンビニまで昼飯を買いに行く時間もあるのだが、それもなく、しかしながらどうした幸いかマスモニがあるのと同じマッドハウス3階のラウンジの自販機には、毎日ワンセットだけオニギリが入れてあり、これで食いつなぐ日々となった。『マイマイ新子』宣伝の件で松尾Pが何か見てほしいと持ってくるのだが、見るためには部屋の電灯をつけなければならず、しかし、いったん明るくなると眼が元に戻るまで待たなければならない。なので「電気つけちゃ駄目!」など無碍なことをいわざるを得ず、追い返す羽目になってしまった。

 しかし、どんな怒涛のような仕事も必ず終わるときがくるもので、#26も完成を迎えた。事前にリテイク潰しをやっておいた甲斐もあり、かえって完成直前にはそれでも出てしまうリテイクをきちんと処理する時間も作れた。プロデューサーの豊田もうまくいったと思ったような顔していたので、
 「来週、2、3日休みもらってもバチ当たらないよね」
 と、いってみた。
 「それは大丈夫ですよ」
 という。実際、1日9時間まったく身動きせず、を何日も繰り返すと体がこわばって痛い。
 ところが、意外にもその翌週になってみると、週末に#27の編集をすることになっており、しかも、編集するための素材がうまく揃っていない、ということになってしまっていた。だとすると編集を翌週半ばに延期するしかないのだが、これによって、編集素材のリテイク時間がなくなってしまった。本来なら週末に一度編集し、素材を差し替えた方がいいところを洗い出して各話演出の方で処理して貰った上で翌週半ばに再編集という予定だったのだが、編集1回分が消し飛んでしまったのだ。
 この編集はアフレコに備えたもので、台詞・動作のタイミング、表情のニュアンスなどがきちんとしていなければ意味がない。ニュアンスを整えるリテイクを出せない状況下では、リテイクを出す側の人間が先回りしてチェックするしかない。またしても、今度はQAR(と呼んでいるけど、実は「クイックチェッカー」)の前で黙々と1人きりの作業をすることになる。ただ、今度は制作が近くにいる同じ室内なので、脳へのエネルギーを補充するべく「何か甘いもの買ってきてちょうだい」とかいって千円札を出せば、動いてくれる人がいる。
 この作業が終わったのが、すなわち編集が終わったのが7月22日木曜日だった。明日は『マイマイ新子と千年の魔法』の、待ちに待ったDVD発売日なのだ。この日には、常連上映館となっていただいているラピュタ阿佐ヶ谷でイベントをしようということになっていた。

 その1週前、7月17日、すなわち本来ならば『LAGOON』#27の編集予定日だった日は、『LAGOON』#25のDVD・BDの発売日となっていた。ところが、ツィッターなんかをのぞいてみたら、前日あたりから品物の配達が行われているようで、16日にはすでに『LAGOON』#25をご覧になった方が相当数いるようだった。
 なので、松尾Pとはからって、『マイマイ』のDVD発売イベントは予定どおり7月23日だが、その前日にもラピュタ阿佐ヶ谷で監督舞台挨拶をしてみよう、ということにしてあった。すなわち、『LAGOON』#27の編集が終わったその日に、なのである。
 いや、まあ、その前、17日土曜と20日火曜にも舞台挨拶に赴いており、18日日曜もどうせ仕事で遅くなった帰りなのでラピュタへお邪魔していたのだったが。

 22日の夜はラピュタにいってみてよかった。
 昨年12月以来ずーっと常連客でいてくださった方々が、うれしそうにDVDを手にしておられた。封入フィルムを見せ合いっこしておられた。あまつさえ、「これ、明日の乾杯のとき、コップに貼ってください」と、新子と貴伊子の図柄のシールを手製してきてくださった方までいた。
 その夜の上映は、もうこの劇場で何十回目かの上映になろうというのに、今日明日にでもDVDが入手可能になるというのに、驚くべきことに大多数のお客さんが初見の方だった。この映画を取り巻く輪は確実に広がっているんだなあ、と思いつつ舞台挨拶に立ち、初見の方々のための話を披露させていただいた。と同時に、すでに数十回ご覧になっている常連の方々へも、この方々のおかげでDVD発売に持ち込めたのだという気持ちを示しておきたくなった。明日のイベントで喋ろうと思っていた話をここでさせていただいた。
 「ボクシングでいえば、15ラウンドのうち13ラウンド殴り合って、でもまだリング上に立つことができている。そんな心境です。セコンドもちゃんとしていたし、出血を止めてくれるカットマンもきちんとしていた。でも、何よりも、驚くべきことに、このボクシングはタッグマッチだったのであり、選手に代わって一般の方々がリングに上がり、世間という強敵相手に殴り合いの死闘を演じてくださった。上映が8ヶ月つづいているのも、DVDが発売できたのも、そうした方々のおかげです」
 と。

 翌日、23日はラピュタ阿佐ヶ谷での(実に6度目の)上映最終日となった。実はこれまでも成功裏に終わった上映のたびに、劇場の方々と軽く乾杯など交わしてきていたのだが、今回ばかりは来場のお客様全員にビールのコップをお渡しさせていただいた。もちろん、新子と貴伊子のシールを貼ったコップで。
 「すみません、乾杯していられないんです!」
 と、おっしゃる方がある。そんな残念な、と思っていると、
 「福島から来たんです! 長距離バスの時間がもうすぐなんです」
 だってDVD出るっていうのにさ。この瞬間、ありがたくってたまらなかったわけですよ、もう。
 ほかには誰も帰られない。
 初見の方々も、11月14日山口県先行上映以来のお客さんの顔もある。
 昨日と同じ話をもう一度させていただいた。13ラウンド殴り合って、でもまだリング上に立つことができている、そんな心境です、と。

 でもまだ14ラウンド、15ラウンドがあるような気がしてならないし、この試合は世界タイトルマッチでもなんでもない。戦い抜けばひょっとしたらその挑戦権への階段の1段目に足をかけられるかもしれないという感じがする。
 われわれの仕事はフィルムやキラキラした丸い盤を作るだけのもので、映画はみていただいた方ご自身の中でしか完成しないものだ。
 できるだけ多くの方々に届けられるように、もう少しがんばってみますので。

第42回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.07.26)