β運動の岸辺で[片渕須直]

第24回 演出補になる

 高畑さんが『NEMO』の監督から離れたらしい、という報せは、たしか大塚康生さんから聞いたのだったと思う。前途を見出せなくなって自分から辞めた、ということではどうもないらしかった。釈然としなかった。
 遥かな後日、当時アメリカに常駐しており、その現場にもいたはずの藤岡豊社長に聞いてみた。
 「おうおう、それはだな」
 と、藤岡さんが話し出したのは、過ぐる日に大塚さんから聞いたのと同じ話だった。
 要するに、エグゼクティブ・プロデューサーたるゲーリー・カーツ氏を前に、あまりに苦闘している高畑さんを見て、セコンドがタオルを投げてしまった、というのが真相らしかった。リング・サイドにいたセコンドとは、結局、藤岡さん自身だった。

 藤岡さんは乾坤一擲の大勝負として『NEMO』の製作に乗り出したわけだが、これが成功裏に終わった暁には、当然のごとく第2弾、第3弾を放つつもりでいた。
 全世界公開の自社製長編映画第1弾である『NEMO』がはじめはジョージ・ルーカスに共同製作の声を掛けたように、次の長編は黒澤明監督に依頼するつもりでいた。つもりだけでなく、どうも黒澤さんのところに実際に話を持ち込みに行ったらしく、黒澤監督からは「自分では監督はしない。脚本家は貸すし、時代考証くらいならしてもよい」という返事をもらったとのことだった。
 この第2弾の企画とは『竹取物語』だった。藤岡さんの構想は、「月から来たかぐや姫は実は宇宙人で、最後には宇宙船に乗って宙へ帰ってゆく」というようなものだった。ご本人に聞いたからたしかなのだが、どうも菊島隆三ほか脚本、市川崑監督、沢口靖子・三船敏郎主演の、1987年の実写映画『竹取物語』にあまりに酷似している。『さよならジュピター』のときと同様、藤岡さんのアニメーション映画企画が流用され、実写・特撮映画として完成させられたということだったのだろう。
 藤岡さんは、こうした次期企画のために、高畑さんを温存するべき、と考えたようだった。
 これも後日、高畑さんにうかがったところによれば、『竹取物語』の会議には何度か顔を出したのだが、誰がイニシアチブをとるのか、船頭ばかり多くて話になりそうになかったので、すぐにこの企画からは離れた、という話だった。

 高畑さん自身は、『NEMO』に対して、執念ともいうべき「映画としての作り甲斐」を見つけてしまっていた。高畑さんはたいていの場合、企画を持ち込まれた最初の段階では「なんで自分がそれを作らなくてはならないのか?」というまず疑問を放つのを、ほとんど常としている。『ハイジ』のときですらそうだった。しかし、そこを説得するのがプロデューサーたる者の仕事なのだ、ともいう。うまく説得されると、次には「なぜ自分はこれを作らなくてはならないのか?」ということを自分で考えはじめ、答えを出してゆく。
 その答えとは、『NEMO』の場合、「主人公がふたつの立場に分裂して、それぞれ物語の構成要素となる」というものだった。主人公ニモ(Nemo)が分裂してもうひとりの少年オーメン(Omen)が登場する、というレイ・ブラッドベリのアイディアを、高畑さんは自分自身のものとして屈服させていたらしかった。
 のちに作られた『火垂るの墓』は、すでに死んでしまった主人公の幽霊が、時間をさかのぼって、これから非業の運命を迎えることになる生前の自分自身を眺める、という構造の映画だった。『おもひでぽろぽろ』は、大人になった主人公が、小学生だった頃の自分を思い返す、という映画だった。いずれも、主人公はふたつの立場に分裂しているように見える。高畑さんは、『NEMO』のときすでにこうした映画的な構成に思い至っていたのかもしれない。だからかもしれないのだが、『NEMO』の仕事から引き離されたことをたいへん悔しがっていた。自分はまだまだ戦える、という自信をもったまま、『NEMO』を離れなければならなくなってしまったらしかった。

 後任は誰になるのか。いっそこのまま、このややこしい仕事は瓦解してくれないだろうか。そんなことすら考えたのだが、そうも問屋は卸さないものらしかった。
 制作に呼ばれた。
 「後任はコンちゃんがやることになった」
 これまで作画監督として『NEMO』に付き合ってきた近藤喜文さんに任せよう、ということだった。
 「コンちゃんは、『友永さんがいっしょにやってくれるなら』といっている」
 「はあ」
 「コンちゃんはお前にも手伝ってほしいといってる」
 「また演助ですか」
 「というより、演出補だな」
 今回ばかりは気前よく「立場」をくれたものだと思った。
 なんというか、スタッフとしてのポジションのインフレーションみたいだな、という気もしないでもなかった。

 近藤さんのところに行ってみた。
 「という話だったんですが」
 「はあ。よろしくお願いします」
 「とりあえず何をすれば?」
 「遠からずまた、アメリカに行くことになるんだよね。ストーリー開発」
 ということで、『リトルズ』からは離れることになった。全3話からなる『リトルズ』の2話の途中だっただろうか。その後、「ところで『リトルズ』はどうなったんですか?」と、ふと思い出して訊いてみたことがある。どうも、アメリカでは結局このパイロット・フィルム兼TVスペシャル版は「放映されなかった」と聞いた。
 でもって、また『NEMO』ですか。
 いずれにしても、まだ大学を卒業していなかった。

第25回へつづく

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(10.03.08)