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COLUMN
板垣伸のいきあたりバッタリ! 第77回
雑記やめました!
〜大塚康生様の事(その2)

 うーむ……何かこのまま「雑記○」と表記し続けると、今に「釣りバ○日誌○」なみに数字が続いてたぶん収拾がつかなくなりそうなんで「雑記」やめます。でも内容は先週の続きって事で。


大塚(康生)さん「どうぞ、どうぞ(俺を席へ促す)」
板垣「あ、はい。失礼します……」
大塚さん「(俺の回答を隣りの友永和秀様・富沢信雄様とまわし見しつつ)試験どーでした? あなた(大塚さんの発音では“アンタ”に聞こえました……)簡単だったでしょう?」
板垣「(正直に簡単だったとも言えず)はあ、楽しかったです!」
大塚さん「まあね、こんな面接なんてかたちだけのもんだからね。はい、もう帰っていいですよ」
板垣「は?」

 ――以上が先週の続き、つまり絵の試験後の面接の全てです。ええ、本当にこれだけでした。こんなに短かったので、かえってハッキリ憶えてるわけです。

 「俺、落とされたのかな……?」

 と思ったら、1〜2週間後自分のもとに届いたのは合格通知の方で……。こーして前述のように板垣は小田部先生の手より大塚康生さんの手に委ねられ、テレコム・アニメーションフィルムに6年10ヶ月ほど通うことになったわけです。

 いや〜楽しかったですよテレコムは!

 どのくらい充実していたかは前に「動画の話」「アニメーターの1日の話」とかで書いたので、今回はあくまで大塚さんの話。
 板垣的作画の同期は俺を入れて3人しかおらず、そのうち1人は3ヶ月の研修期間中に辞めていき、もう1人はアルバイト感覚な女の子(結局この同期も3年動画やって業界を去っていきました)で、あまり大塚さんという巨匠が目の前にいる一大事にそれほど感激もしてなかったため、俺だけがやけに大塚さんに甘えてたみたいになってました。どういうふうに甘えてたかと言うと、これも前に書いた気がしますが、とにかく画を描いては見せに行きまくったんです。
 例えば遊びで描いた原画で……もちろん確信犯ですが、かつて大塚さんがレイアウトで参加してた『おれは鉄兵』(自分はちばてつやマンガが大好きなモンで)を描いて持っていくと――


板垣「このキャラわかります?」
大塚さん「ああ、ちばてつやだね。なつかしいね〜(笑)」
板垣「大塚さんやってましたよね?」
大塚さん「でも始まって間もなく僕は宮崎(駿)さんの『未来少年コナン』の方に行っちゃったからあんまりやってないんだよ」

 ――て感じで新人アニメーターの興味本位の適当ファントークにも付き合ってくれて板垣を喜ばせてくれました。その後はもちろん俺の原画を修正してくださったのですが、ここで『鉄兵』を描いていった真価(?)が発揮されるわけで……つまり鉄兵を描いていけば鉄兵を、ジムシィを描いていけばジムシィを、それぞれ今(1994年当時)の大塚さんの画で修正してもらえたわけです! 興奮でしょ!?


大塚さん「板垣君ね、初めっから難しいの描きすぎだよ。最初はもっと簡単なのからやんないと……。(俺にパラパラ捲りつつ)こーゆーアクションやりたいなら、この画が必要なんだよ。ここんとこハッキリ見せるためにここに“予備動作”っちゅーのがね……(云々)」
板垣「なるほど。大塚さん上手いですね〜」
大塚さん「ははは何言ってんの(苦笑)。また持って来なさい、今度はもっと丁寧にみてやるから」
板垣「はあい。ありがとうございました!」

 を何度も繰り返していました。今考えると“あの大塚康生様”に「上手いですね」はかえって失礼だったか……?



(08.07.24)

 
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