板垣伸のいきあたりバッタリ!

第261回
『ベン・トー』の話(17)

(17)……って!(汗)

 ずいぶん回を重ねたもので『ベン・トー』語りももう17回目。もう少々おつきあいくださいって事で前回の続き、#12(最終回)の話。
 先にEDテーマを流し、ラストをOPテーマで締める——というのは、前回説明したようなラストシーンが先に思い浮かんだ時点で、OPテーマを尻にもってくると決まってました。それでよくよく考えてみると、EDテーマの方を冒頭の槍水が眠るシーンでかけると「ピッタリだ!」と後から気づいたという順番で、結果ハマったと思います。なんだかんだいってOP・EDってのは多少融通が効くのがいいですね。内容にあわせて「OPなし」とか「今回のEDは別バージョンで」とか。
 ただ、この連載を読んでくださってる方はもうお気づきかと思いますが、このOP・EDの話に限らず、本編の内容ひとつとってもアニメファンの方が思ってるほど、あれもこれも監督の独断でモノが作れるはずがありません。ってゆーか自分も一ファンの時「なんでこうしないんだ!?」や「なぜああできない?」と怒ってた事が、現場に来てみると「あ、ファンが疑問に思ってる事ってだいたい現場では議題に挙がりずみで、ほとんどはすでに話し合われてるんだ!」と思い知りました。
 例えばOP・EDに関しても今回の『ベン・トー』は思ったようにやらせていただけましたが、前に監督した時などは、もうすでに「OP・EDはそれぞれ1種類ずつで全何話すべてで使う事」が義務づけられてて「内容が重いので今回はOPなしで」とかは絶対不可だったんです。ま、監督の格とかによるのかもしれませんが、少なくとも自分は「なんでも監督の思ったとおりご自由に」などと言われた事はありません。まあ、それが普通なんでしょうし、そこが逆に面白いんですよね、作ってて。そんなわけで、OPテーマとEDテーマを逆にするにも、周りに対しそれなりの説得を要したという事です。
 あと、#12は何より構成のバランスが難しく、ホン読みでは、ふでやす(かずゆき)君にとても苦労をかけたかと思います。原作は各巻完結してるので問題ないんですが、1〜3巻を全12話のシリーズにする場合、3巻のオルトロス(沢桔姉妹)編が山場では、ヘタをすると佐藤と槍水の話にならなくなるくらい姉妹が立ってくるんです。そしてビジュアル的に佐藤VSオルトロスのバトルを見せるのが普通のスポ根やバトルものの定石なんですが、それやって佐藤がオルトロスに一発かまして「勝ったぞーっ!」とやってしまうと「やっとの思いで弁当争奪戦の仲間に入れてもらえた!」というオルトロス側のカタルシスに水をさしてしまう……等々、凄く悩んだコンテでした。ヘラクレスの棍棒に一矢報いる沢桔姉妹のトコは描いててやけに高揚感があったり、佐藤と槍水が一緒にうなぎ弁当を食べるシーンはニンマリしながら描いたりはしてましたが。さらに勢いづいてバラしてしまうと、自室で小説書いてる白粉の台詞、

「今ひとつ突き抜けないなあ……散漫だし、とりあえず前進あるのみ!」
(Aパート冒頭)
「だめだあ〜、台詞が出ないぃ……」
(Bパート冒頭)

 実はこれ、その時のコンテ切ってる自分のリアルタイムの心境が台詞化したものです。そう言って本編を一所懸命まとめようとしてたんですね。狼たちが戦ってる時にトボトボやってくる白粉もコンテ時のアドリブでした……たしか。やっぱりすべての始まりである#01で、最初に佐藤に接触してきた白粉が自室で小説書いてるだけではちょっと残念ですから。つまりラストカットのアブラ神の笑みも

#01からずっと佐藤の成長を見守ってきたアブラ神

だからこそ最後にふさわしいと言えるし、これしかないでしょう? 話はやや前後しますが、最後、佐藤が槍水に言う台詞

スーパーには悲しい涙は必要ない!

をアフレコで聴いた時「あ〜下野(紘)さんの佐藤で間違ってなかった!」と思いました。カッコいい事を言っても全然イヤミじゃなく、なおかつ絶対にブレない芯の強さがあります。シリーズを通して殴られるわ蹴られるわがあっても決して弱々しくならないし、アクションやコメディ、またある時はモノマネまで本当に様々な面を見せてくれた佐藤ですが、この「スーパーに〜」の時は、自分が何をこの『ベン・トー』で描きたかったのかを思い出させてくれました。もちろん、『ベン・トー』はギャグやアクション、女の子の可愛さなど、それ以外にもたくさんの魅力に溢れた原作である事は間違いないし、それらはここでも十分説明したと思います。でも自分がこの原作にいちばん共感したところは

若さであり余ってるエネルギーを半額弁当争奪という金にも名誉にもならない事に注いでる主人公たち

なんです。若い頃の余った力と時間は何に費やしてもいいんだという事。そりゃ80年代ならばハンサムな双子の兄弟の片方が死んで甲子園を目指す兄と新体操インターハイ美少女がたまたま幼馴染で最後デキちゃうような話を「どこにでもある青春」って言ってアニメにもなって大ヒットしたりします。ま、たぶんその場合の「普通の青春」とは60〜70年代の「〜の魔球」とかを必殺技にする超人間たちのスポーツ群像劇に対しての比較的普通の若者が野球もするし恋もする——で「普通」と表現してた(実際TVでそう紹介されてたんです!)んだと思うんですが、そんなの普通なハズないですよね。俺にとっては、表現の誇張は当然あるものの、「えっ!? こんなくだらない事(褒め言葉)に一所懸命になってんの?」な『ベン・トー』の方が全然共感できる若者の青春だと思い、この作品に着手しました。その時の事を最後の佐藤で思い出したんです。それほど佐藤が理想の若者像に見えたというのも下野さんのおかげだと思って本当に感謝です!

(12.04.05)