第204回
2人で1人
藤子不二雄(3)
〜まだ『プロゴルファー猿』

 前回の続きで、まだ『プロゴルファー猿』。前回言っておけばよかったな〜と思いつつ、念のため……。

板垣にとっての藤子不二雄は「マンガ」です!

それは変な原作至上主義な「アニメは認めません!」ではなく、アニメも含めて「藤子マンガ」なんです。子どもの時ってありますよね? 「アニメの画もすべて原作者が描いてる。マンガ家ってスゲーッ!!」って思ってる時期って。それです。今までこの連載で藤子作品はあまり触れてなかったのってそーゆー理由でした。つまり、前回と今回(まだやる気です!)で紹介する『プロゴルファー猿』1982・2時間スペシャルはリアルタイムで観た少年期の俺にとってはアニメではなく「藤子マンガ」って感じで刻み込まれてるんです。

 だから、自分の中では出崎アニメとはまったく違った位置づけで、出崎さんが自分を今の仕事に就くきっかけの方だとするなら、藤子不二雄先生はそのずっと前の幼年〜少年期の人間・板垣伸の人格形成に深く関わった方だと言えます。それは藤子不二雄のお2人のような友情を築きたいと思ったし、お2人のように観る人たちを楽しませる事って素晴らしいと思い、お2人のキャラを真似して描きまくったあげく頭のデカイ画しか描けなくなった……という具合に形成されたのが俺というわけです。
 で、先週とは違った角度から、まだ『プロゴルファー猿』の話。まず自分は、猿が藤子不二雄キャラの中でいちばん好きです。F先生のもA先生のも合わせた藤子不二雄キャラの中で、です(自分の中ではいまだに、ドラえもんの横には怪物くんがいて、魔美の横には猿がいますので!)。猿ってキャラクターは、藤子キャラの中でいちばん自由なキャラですよね。他のキャラはみんな学校やら実社会の中にいるけど、猿は山の中で何ものにも縛られずにノビノビ生きてるんですから(1985・TVシリーズ版の方はたぶん子ども番組という手前か学校に通うシーンがありましたが、先生の原作では一切それありません!)。ここはあえてA先生と限定した方が分かりやすいのでそうさせてもらいますが、『プロゴルファー猿』ってキャラも作品全体もまるごと原作者・藤子不二雄A先生だと思うんです。まずアニメより原作の方がぶっちゃけ過激です! 例えば前述のように原作では猿丸たち兄弟は学校に通っていないのに対し、アニメは学校に通ってるシーンを入れてます(1982・2時間スペシャル版は入れてませんでした)。そして、小丸(猿谷家の末っ子)は原作では堂々とお酒(辛口の特級酒)を飲むアル中の幼児ですが、アニメ版(1982、1985とも)ではミネラルウォーターになってます。さらにこれは原作・アニメともにですが、かなりの大金が動くゴルフ勝負……。よくもまあ子どもの読者に対してこれだけ黒い内容を盛り込んだもんだと思えるほどのモラルの欠落っぷりですよ、原作の方は。実は相方の藤子・F・不二雄先生の作品もかなり黒い部分(短編「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」や「間引き」等々)があるんですが、それは「SF」(F先生は俗に言う「Science Fiction」ではなく「SUKOSI FUSIGI(少し不思議)」という意味だと仰ってます)にカテゴライズされた中にある非現実の黒さであるのに対し、A先生のは現実と隣り合わせにある黒さなんです。「ぶきみな5週間」や「戯れ男」「ヒゲ男」「マカオの男」などすべて、現実に起こりうる因果応報的惨事……それがA先生の世界で、「猿」も十分こちら側。不登校に幼年飲酒に大金賭けゴルフ! しかもその過激な内容が「『ドラえもん』を描いた藤子不二雄!」という事で子どもの手の届く位置に現れたんです。1982・2時間スペシャル版の放映が正にそれで、小丸の酒がミネラルウォーターにはなっているものの

子どもにやさしい藤子キャラの危険な賭けゴルフ!

は結構過激に映って、それまで大好きだった『ドラえもん』や『怪物くん』『忍者ハットリくん』が一気にブッ飛んで月の小遣いが300円だった頃、お年玉も足して必死で揃えました、単行本を。で夢中で読みました。

本当に面白かったです、『プロゴルファー猿』の原作!

お勧めなのは掲載誌柄やや子ども向けに描かれてる「新プロゴルファー猿」(1982〜88「別冊コロコロコミック」→「月刊コロコロコミック」連載)より、やはり「プロゴルファー猿」(1974〜80「週刊少年サンデー増刊号」→「週刊少年サンデー」連載)です! 当時サンデーコミックス版で全19巻揃えて、いまだに名古屋の実家にあります。  この原作の猿を見てると

目の前にあるすべての事を肯定的に受け止め、自由に自然に生き抜きたい!

という藤子不二雄A先生の人生観をすら感じるんですよ。前述の不登校も、以前先生がインタビューに答えてた「僕のマンガには塾に通ったり一所懸命勉強する子どもを描いたものがないんです」とも通じるし、ミスターXってヤツはいつも勝負を挑んでくるわりにその条件は「君が負けたら私の組織に入ってもらう!」って言ってるだけで、別に「殺す」とか言ってるわけじゃなく、ただただ「自由を奪う」のが目的なんですよ。俺らの世界で言うところの「うちで社員となってアニメーターをやらない? 生活を保障するかわり好きな作品は選べないよ」と言われてるのと大差ないわけ。あ、そうか! 自分が社員に抵抗あるのも『猿』の影響かもしれませんね。そして「幼年飲酒」でも、その後の某バラエティ番組でトキワ荘時代からの盟友・赤塚不二夫先生についてA先生は「酒を飲まなくなったら彼(赤塚)じゃなくなっちゃうんだから……あれは栄養ドリンクですよ」と仰ってたのを思い出します。同じく『猿』本編でも猿丸が素手・素足であるが故に雨でスベってプレーできないっていう弱点に対する解決策として、なぜか「まつヤニ」を塗ってスベリ止めにするんですが、これなんて手袋をつけてゴルフシューズを履けば簡単にすむ事なんですよ。なのにA先生は彼(猿丸)のアイデンティティは絶対守ってあげるんです。これらはこじつけではなくて藤子A先生の「ルールやモラルよりもその人の個性を大事にする」考え方なんだと思うし、それに伴う健康被害やルール違反よりも優先なんでしょう! あと「猿」のいちばんの特徴(?)である「大金賭けゴルフ」に関しても「子どもが大金を賭けてゴルフなんて、けしからん!」とか言う常識人が多勢いると思うし、もちろんA先生的にはよりエンターテイメント性を高めるための設定以上の何ものでもないんだとも思います。しかし先生の描かれたいわゆるブラック・ユーモア短編を読むと、それらの半分以上は大人のギャンブル話である事から推測するに、さすがマンガ界一の遊び人A先生! たぶんA先生にとって

お金とは所詮、次に遊ぶための「軍資金」である!

んでしょう。もちろんこれはイイ意味での達観です。遊びも真剣にやれば、仕事になるわけで、猿のゴルフに対する姿勢も先生がマンガで一発当てるのも同じだって事だと思うんです。例えば猿が黄金仮面ことキャプテン・イーグルに負けそうになった時「わいはもう破産やー!」って涙を流して叫ぶシーンを見て、自分、ドキッ……! と怖かったのを憶えてます。子どもに破産という言葉を言わせて、しかもシチュエーション的にかなりリアルな金額で追いつめて、繰り返して読めなかったくらい少年期の自分には痛い場面でした。つまり、

遊びというのも真剣にやればそれなりのリスクを負うもので、かつ、でもやっぱり遊びはやめちゃいけない!

みたいな、A先生の人生哲学がしっかり描かれているのが「猿」なんだと思うし、自分はその影響を多大に受けて今まで生きてきた気がします。それが証拠にまわりの人がよく呆れるくらい板垣はお金の出入りに無頓着で、なぜか子どもの頃から「好きなコトを必死でやって食えないはずがない!」って朧げに思ってました。テレコムの新人だった頃、大塚(康生)さんが

お金なんてね、一所懸命描けば後からついてくるから!

と仰ってたのも何か通じるトコある気がします。
 あと今回1982・2時間スペシャル版『プロゴルファー猿』を観直していちばん少年の頃のワクワクが甦ったシーンはなんと言っても

猿がゴルフクラブを作るシーン!

でした。何しろ自分は前から言ってるようにとにかく

モノを作る事が大好き人間!!

です。それはもう子どもの時からずっとなので8歳の頃観た『猿』で最高に好きなのも、やっぱりソコでした。その興奮が甦ったんです。猿が紅蜂に愛用のドライバーを傷つけられ、新しいドライバーを作ると決意。豚を使って頑丈な木の根っこを探し、フェース(顔・ボールの当たる部分)をノコギリで切ってヤスリをかける。そしてグリップ部分にテープを巻いて——できた! 新ドライバー!! その全行程にかつて夢中になった事が今の自分の人格を作ってる気がします。これはアニメ云々ではなく、ザックリと「作る・遊ぶ・人を喜ばせる」がすべて『猿』からスリ込まれたって事です。その後アニメに向かうキッカケは出崎さん……てわけ。だってほら、ここまで語っても『猿』の場合、コンテだ演出だ作画だって話、ほとんど出ないでしょ?

(11.02.10)