板垣伸のいきあたりバッタリ!

第167回
メイキング・オブ・
『迷い猫オーバーラン!』その3

 ま、前回のようなホン読みの末、でき上がったシナリオを自分の手でコンテにする事が次の仕事でした。ちなみに前回までに言うと、

『迷い猫オーバーラン!』の各話監督制の場合、他話数の監督様とは一切打ち合わせというものをしておりません!

 ……というか、会ってさえいません(笑)。つまり集英社の会議室における1時間ほどのホン読みで、次週(次稿)への課題をいただいた頃、プロデューサー様とかから、

 と終わりを余儀なくされ、退出するわけです。

 これを週1回、プロット3稿、脚本3稿、合わせて6週ほど——のハズが1〜2回(?)自分の都合(『戦国BASARA』#13の追い込みとか)で飛ばしたので、2ヶ月くらいで書いた脚本でした。
 で、次にコンテ作業。今回は『この醜〜』#7同様、自分の脚本のコンテ化なんで、まあやりやすいわけですね。ほとんどのシーンが脚本時点でイメージがありましたから。それと前に書いたとおり、俺、コンテ切るのは大好きなので、この『迷い猫』も例外なく思いっきり楽しんでやりました。

 ところでコンテの話、こちらは以前から何回かに分けて書いてるので、そちらと内容が多少重なるかも知れない事を先にお詫びしておきます。
 いきなりですが、誰か

「映画の教科書」とやらを教えてください

 いや、ついこの間某アニメ誌で『迷い猫』の取材を受けた際、キャラクター考察から逸れて、演出の話に突入してしまったんです。そしたら俺の話を訊いてた記者さんが、

この『迷い猫』のインタビューとは別に、次の号で、演出について語ってもらえませんか?

って話になって語るハメになりました(実はもう語り終わって来月とかには記事になってると思います。雑誌名は……そのうち分かるでしょ)。それと、先月末発売された『アニメージュ オリジナル』の連載の時も同じような演出の話になったかも?

事実、本当に困ります。「演出」について語るって!

 少なくとも自分は、至って普通に自然にコンテ切ってるだけなんですから。あっ、ちなみにここからの話は「コンテ=演出」って事でお願いします。で、だいぶ前に書いたとおり、誰か演出の師匠についてコンテを教わった事や演出助手の経験もない自分が語る事ができた「演出について」とは——

コンテのカット割りは俺にとって作曲するのと同じなんだと思う。つまり、フィルムって音楽と同じ時間芸術である以上、アップだ、ロングだ、あおりだ、俯瞰だ、7:3の切り返しだとかは、ド・レ・ミ・ファ……の音階と同じで、誤解を恐れずに言うなら、カットつなぎは理屈や教養より、生理や快感の方が優先でしょ。例えば、音楽教育だって、「悲しいメロディの場合は、ソの次はファなんだ!」とか「楽しいメロディは、ド・ミ・ド・ミじゃなく、ラ・ファ・ラ・ファだろ!」なんて教え方しないですよね。ミュージシャンが曲作る時だって、ピアノやギターでメロディを一節弾いては「いい感じ!」を探す作業なハズでしょ? なのに、こと映像となると皆さん頭デッカチになって、すぐ理屈でロジックで「○○監督がこうおっしゃったから」な教科書世界にしようとするのは、なぜなの? そもそも映画の教科書って何? 皆、どこぞの監督が書かれた演出教本やレイアウトうんちく本を読んで演出家になれると思ってるんでしょうか? 俺にとってあれらの本は「あ、これ読まなきゃ演出家になれないと思ったヤツは逆になれないんだ」と分かって途中で読むのをやめるための本だと。あ、でも、ヒッチコックとトリュフォーの「映画術」(晶文社)はヒッチコック映画が好きな方は読んでみるのをおススメかな。あれは映画本としてではなく、ヒッチコックファンのムック本(?)扱いで自分は愛読しました。

 ……すみません、時間切れで次週へ。

(10.05.13)