アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その46 川本+岡本パペットアニメーショウ

 アニメーション作家の川本喜八郎さんと岡本忠成さんがタッグを組んだ「川本+岡本パペットアニメーショウ」が開催されるようになったのも、この1972年からでした。
 きっかけは前年10月、銀座ヤマハホールで開かれた「岡本忠成アニメーション映画作品集」という、岡本さんの個人上映会でした。この時、岡本さん率いるエコー社の第1作『ふしぎなくすり』(1965年)をはじめ、『キツツキ計画』(1966年)、『おじいちゃんが海賊だったころ』(1968年)、『10人の小さなインディアン』(1968年)、『ホーム・マイホーム』(1970年)、『花ともぐら』(1970年)、『チコタン・ぼくのおよめさん』(1971年)の岡本作品一挙7本と、チェコのトルンカ・スタジオでの修行から戻った川本さんの帰国第1作『花折り』(1968年)、久里洋二さんの『小さな騎士たち』(1968年)、亀井武彦さんの『花』(1968年)の全10本が上映されました。
 その好評を受けて1972年10月に、お茶の水日仏会館で第1回「川本+岡本パペットアニメーショウ」が実施されました。川本さんと岡本さんのアニメーション作品の上映に、黒子が操る人形芝居を組み合わせた催し。だからアニメーションとパペットショウが合体したパペットアニメーショウの名がついています。
 アニメーションに限ったことではありませんが、個人作家の作品は発表の場を得ることが難しいものです。久里洋二さんたちの「アニメーション三人の会」から出発した草月アニメーション・フェスティバルはそのよき受け皿になっていましたがすでに幕を閉じ、新しく結成された日本アニメーション協会(JAFA。現協会JAAとは別物)主催のアニメーション・フェスティバルも1971年の1回きりで後が続きませんでした。
 そんな中、前年の催しで意気投合した川本さん岡本さんのお2人は合同で発表会を開催する運びとなったのです。作品制作費に加え会場費、人件費、宣伝費……舞台裏の台所事情は知る由もありませんが、決して楽な道ではなかったでしょう。それでも発表の場があり期日が決まっていれば制作にも弾みがつきます。
 川本さんと岡本さん。共に芸術性と娯楽性を兼ね備え、観客にアピールする力も充分なお2人は実によいコンビでした。淀川長治さんが舞台上のお2人をご覧になって「ローレル&ハーディ」と表された逸話がおかだえみこさんによって伝わっていますが、細面の川本さんと丸顔の岡本さんはアメリカ映画の名コンビをほうふつとさせる趣きがあって、和田誠さんがパンフレットに描かれたお2人の似顔絵もとてもよい感じでした。
 お2人とも根幹にチェコの人形アニメへの憧れがあり、日本と中国の人形アニメの父である持永只仁さんの教えを受けた作家。東京育ちで神経細やかな川本さんと、大阪生まれでサービス精神旺盛、見るからにタフな岡本さん。お2人は固い絆で結ばれた終生の盟友でした。

 第1回パペットアニメーショウの第1部は人形芝居。舞台に組んだセットの中で黒子が複数がかりで大きな人形を操る文楽方式で、演し物は『日々是好日』と題し「苦しい時の紙だのみ」「人も磨きて後にこそ」等を上演。構成・演出・人形美術は人形劇団「指座」を旗揚げした経験もある川本さん。「苦しい時……」の「紙」はトイレットペーパーのことと言えば内容は想像がつくでしょう。「人も……」は江戸っ子の頑固老人が熱々の風呂へ入る様。熱湯に足先からそろそろと浸かっては留めの仕草の可笑しさに客席が沸き、前を隠した手拭いがふと外れてはまた沸くという具合に、アニメーションの川本作品とはひと味違う人間臭く面白可笑しいショウでした。
 第2部のアニメーション作品は川本さんの新作『鬼』、岡本さんの『チコタン』の再映に新作『日本むかしばなし・さるかに』『モチモチの木』の全4本と、いずれ劣らぬ作品群。
 『今昔物語』に材をとり、漆黒の闇に金蒔絵が施された様式美の中で、病の老母が鬼女と化して息子を喰い殺そうと襲う『鬼』の、美しくも凄惨な不条理の世界に私は強い衝撃を受け、子供の歌声で交通禍を訴える『チコタン』にまたも胸を衝かれました。ほのぼのとした童画から一転する『チコタン』はトラウマアニメの代表とも言えるでしょう。『さるかに』は土の臭いがするような土俗的で荒々しい人形の容赦なさが、昔話が本来持つ力強さを伝えて恐ろしくさえあり、斉藤隆介の創作絵本を原作とする『モチモチの木』は和紙を使った画面の温かい抒情味に義太夫を語りに導入した意欲作。4本それぞれに技法も題材も様々で、素晴らしい満足感がありました。

 このパペットアニメーショウは当初の5年連続公演という目標を1976年に達成し、やや間をおいて1980年の第6回まで続きました。その間に、川本さんの『旅』(1973年)、『詩人の生涯』(1974年)、『道成寺』(1976年)、『火宅』(1979年)、岡本さんの『南無一病息災』(1973年)、『水のたね』(1975年)、『ちからばし』(1976年)、『虹に向って』(1977年)他様々な傑作が生まれ、また若佐ひろみさんの『羊の唄』(1974年)、峰岸裕和さんの『大阪のおじょうさん』(1975年)等、エコー社関連の新人作家の登場の場ともなりました。
 岡本さん、川本さん共にまだまだ語りたいことはありますが、それはまたおいおいにということで。

その47へ続く

(08.12.26)