アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その1 東映長編の頃

 私は群馬県高崎市に生まれ、昭和30年代に子供時代を過ごした、いわゆる「三丁目の夕日」世代です。
 東映動画の長編アニメと東宝特撮映画を観て育ち、『鉄腕アトム』以降のTVアニメの隆盛をリアルタイムで享受、長じてアニメーターとなり『アルプスの少女ハイジ』をはじめとするいくつかの作品に携わりながら、一方で東京アニメーション同好会(現・アニドウ)の一員として『FILM 1/24』というアニメーション専門誌の編集を続けていました。
 その後、現場を離れ、現在は九州の福岡に暮らしていますが、その間もアニメーション関連の文章を書くなど、アニメーションとは離れることなく過ごしてきました。
 こんな私をアニメスタイルの某さんは「アニメと寄り添っている人生」と言ってくださいました。そんな私のこれまでの記、どう読んでいただけるのか分かりませんが、編集部からのご要望をご縁と思い、今まで出会った人や作品を織りまぜながら綴っていこうと思います。

 さて、私が生まれた頃、TVはまだ一般家庭に普及しておらず、その当時の娯楽の中心は映画でした。映画の黄金時代で、映画館ばかりか、家々の木塀や銭湯、バス停など町の至るところにポスターが貼られて気分を盛り上げていました。世の中がだんだん豊かになって、娯楽にお金をさく余裕ができてきたのです。
 私の最初の記憶は両親に連れられて観た東映動画(現・東映アニメーション)の長編アニメーションです。と言ってもアニメーションという言葉はまだなくて、漫画映画と呼ばれていました。カラー映画は総天然色。おかしいけれど、なんだかギラギラした迫力のある言い方ですね。
 東映長編は『白蛇伝』に次ぐ第2作『少年猿飛佐助』から映画館で観ています。凄まじい形相をした仇役・夜叉姫がなんとも恐ろしく、その夜叉姫が変身した大山椒魚が沼で母鹿を襲うシーンはスクリーンを正視できなかったものです。
 その後、毎年封切られる長編はほぼ観ています。『西遊記』では、敵方の小竜が最後に改心して自らツノを折る場面に子供ながら胸を衝かれ、『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』では冒頭の宝物のキラキラした輝きに目を奪われ、次々と繰り広げられるアラビアンナイトの世界にとっぷりと浸りました。
 夢も笑いも涙も、総てが映画館のスクリーンの中にありました。客席はいつも満員。席に座れなくて立ち見の人や、階段に座り込む人もいたくらいです。
 この頃の一番強烈な思い出は第7作『わんわん忠臣蔵』の時です。忠臣蔵という題材は現在も多くの日本人にアピールするものですが、それを動物の世界に置き換えた『わんわん忠臣蔵』は話題性も充分。時期もちょうど赤穂義士の討ち入りに合わせた12月に公開され、それを観ようという人たちの列が映画館の入り口からあふれ、遠く商店街の角まで何百メートルもの行列を作ったのです。後にも先にもそんなことは見た覚えがありません。師走の空の下、皆、文句も言わず列に並び、映画館に入る前からわくわくとした高揚感を共有していました。親子4人が一緒には座れないほど超満員の映画館で観たこの映画は、その後も長く我が家の話題になっていました。

 これら、東映動画初期の長編について、劇映画の追随的でアニメならではの飛躍が足りないと言われもしますが、当時の映画館の観客は、現在のようにアニメ(当時は漫画映画)を特別視していなかったような気がします。漫画映画は子供が見るものという意識もなく、まして現在のようにアニメは(一部を除き)子供とマニア(おたく?)のものになるなど思ってもみなかったでしょう。
 映画は大衆娯楽ですから、スターの演じる劇映画も、絵で描かれた漫画映画も、大人も子供も皆おおらかに楽しんでいたような気がします。
 初期の東映長編の題材も、『白蛇伝』は中国伝奇、『少年猿飛佐助』は立川文庫、『西遊記』は中国古典、『安寿と厨子王丸』は森鴎外の古典、『シンドバッドの冒険』はアラビアンナイト、『わんぱく王子の大蛇退治』は日本神話、と広い年齢層にアピールするものですし、また、『白蛇伝』には東宝の「白夫人の妖恋」、『安寿……』には巨匠・溝口健二の「山椒太夫」、『わんぱく……』には円谷英二が腕を奮った東宝の「日本誕生」といった同じ題材による劇映画があるように、決して子供だけに向けた映画ではなかったはずです。
 これは特撮怪獣映画「ゴジラ」(1954年)や続く「ゴジラの逆襲」が子供やマニアのための映画ではなく、広く一般向け映画として鑑賞されたことにも似ています。
 もちろん映画という形式からして、映画館まで出かけ入場料を払わなければ鑑賞不可能なわけですから、子供よりも行動力、経済力のある大人にアピールしなければならないという事情はあるのですが、いずれにせよ、当時の子供として私(たち)は、何の不満も覚えることなくそれらを楽しんでいたのでした。
 その、子供にも大人にもアピールするものをという形式が崩れたのはやはりTVの台頭、家庭内でスイッチを入れるだけでいい視聴覚娯楽の出現と発達によるものが大きいでしょう。東映動画の長編も、東宝の怪獣映画も、次第に題材や内容、観客対象が変化していくことになるのです。

 話は変わりますが、人はその多くが、最初に感銘を受けたものにその後永く惹かれていくのではないでしょうか。
 私の場合はそれが東映動画の長編漫画映画でした。今ではそれ以前の作品、それこそアニメーションの草創期からの内外の諸作品を数多く見て、アニメーションの歴史も頭に入ってはいますし、好きな作品も数え切れないほどあります。それでも、どこかで私の中のアニメーションの流れは映画館の暗闇の中で胸弾ませて観た長編漫画映画から始まっているのです。
 同じように、ものごころついた頃すでに家庭にTVがあった世代には歴史は『鉄腕アトム』から流れ始めているのでしょうし、また別な世代にとっては『宇宙戦艦ヤマト』や『新世紀エヴァンゲリオン』から始まっているのでしょう。逆に私より上の世代にとってはW・ディズニーの作品こそが世界の始まりであるのでしょう。
 そうした世代の違いを認めつつ思うのは、それにとらわれることなく、広い視野でもって眺め渡せば、アニメーションの世界は様々な驚きと喜びに満ちているのだということです。

その2へ続く

PROFILE

五味洋子 GOMI YOKO

2月16日生まれ。アニメーション研究家。旧名・富沢洋子。『未来少年コナン』の動画に携わる一方で、アニドウの「FILM1/24」の編集を担当。著書に「また、会えたね!」(徳間書店アニメージュ文庫)、「アニメーションの宝箱」(ふゅーじょんぷろだくと)がある。

(07.02.09)