アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その79 1976年のアニメ

 1976年は『三千里』の他にも注目すべき作品がいくつもあります。この年の特徴として巨大ロボットブームがますます盛んになり、既存の制作会社に加え、東映本社や葦プロ等が新規参入してきたことがあります。この好況の裏には、登場するロボットを即玩具化できるというスポンサー的な旨味があったからでしょう。それはやがて玩具会社主導のデザインによるロボットの登場につながっていきます。
 SFマニアからはロボットプロレスと揶揄され、30分番組が丸々玩具のCMであると冷ややかな目で見られながら、それでも、この時期のスタッフは、巨大ロボットアニメという枠の中で、あるいは自らの技術と感性を追求し、あるいは人間という存在の意味を探るドラマを生み出していたものです。それはちょうど子供向けとされる特撮番組が、その枠組みゆえに正面切って社会や人間のありようを描くことが可能だったり、時に思い切ったギャグやパロディを展開できたようにです。

 1976年の収穫の筆頭に東映動画の『マグネロボ ガ・キーン』を上げたいと思います。『ガ・キーン』は前年の『鋼鉄ジーグ』に続くマグネロボシリーズの第2作であり、東映動画のオリジナル企画です。
 キャラクターデザインをオープロの小松原一男さんが担当しており、これが『ガ・キーン』の作品的成功を決定づけました。
 『ガ・キーン』は男女の合体による巨大ロボットというコンセプトによって、従来サポート的立場にあったヒロインから一歩も二歩も前進した、ヒーローとしての男性キャラと対等に立つ、いや、時にはヒーローさえも超えた存在としてのヒロイン登場となったのです。
 そして、小松原さんによる、このヒロイン花月舞(かづき・まい)のデザインが衝撃的なまでに秀逸でした。ヒーローとヒロインは合体に際してプラスとマイナスのマグネマンへと変身するのですが、ここで舞は普段のくりっとした瞳の可愛らしいキャラから、きりりとした吊り目にアイシャドウと口紅で彩られた凛々しくも美しい顔立ちへ、スタイルも女性的なボディラインを強調した戦闘服とヘルメットを身につけたクールビューティへと変貌するのです。後の少女から大人っぽく変身する戦闘美少女(魔女っ子)の先駆けとも言えると思います。
 小松原さんによる舞と変身後のマグネマン・マイナスのキャラデザインは可愛らしさとクールなカッコよさという、小松原さんが併せ持つ美的才能の高度な発露でもありました。
 この花月舞については私の実弟・富沢雅彦が自らの編集による同人誌『PUFF』誌上で微に入り細を穿った長文による完璧なまでの考察をものしており、いまだこの文章を超えるものはありません。富沢雅彦の遺した文章の最高作と信じています。
 『ガ・キーン』はドラマも充実しており、中でも生身の人間の存在の重要さを高らかに宣言した第31話「驚異のマグネマンダミー!!」の回はその代表です。
 『ガ・キーン』はやはり小松原さんのいるオープロの担当回が作画的にも突出しており、小松原さんと友永和秀さんの強力タッグの力が光ります。また現在は友永夫人である月間恵美子さんは当時の女性には珍しく最初からロボットものを志望してオープロに入社し、メカを描きこなすアニメーターとしてこの頃には東映班に欠かせない戦力となりました。私などはややマンガ的な面の残る『ゲッターロボ』が精一杯、『グレンダイザー』の頃はもうお手上げ状態でしたので、メカものを描ける女性は無条件で尊敬してしまいます。
 『ガ・キーン』ではオープロで進行から昇進した松浦錠平さんが演出として活躍するようになり、若々しい感性で数々の秀作をものしています。松浦さんと友永さんもまた何でも言い合えるいいコンビで、倒れ伏したマイティの脚をガニ股に描いた友永さんに「女性ロボだからもっときれいに」という松浦さんに対して、友永さんが「ロボットだからこれでいい」と主張し合いながら作業を進めていた光景は今もよく覚えています。自社の中に演出家がいるのはこんなふうに意見交換できて実にいいものです。

 友永さんの名が出ればやはりこの人、金田伊功さんの出番です。前年来の『ゲッターロボG』で才能を開花させた金田さんは続く『大空魔竜ガイキング』でさらにその独自性に磨きがかかりました。第34話「猛烈火車カッター」で初の作画監督を務め、暴走とまで称される作画を展開し、最終回「壮烈!地球大決戦」でも文字どおり壮烈な画面を炸裂させていました。金田さんのいたスタジオNo.1では生頼昭憲さんが演出家でしたから、作画の自由度もかなりあったようです。
 『ガイキング』は東映動画初のオリジナル・ロボットアニメでした。メカ設定に小林壇さん、キャラ原案に杉野昭夫さんが当たり、それまでの東映動画路線に新風を吹き込みました。第31話「復しゅうのダブルイーグル」のハードさや、第40話「バラの宇宙船」をはじめとする『グレンダイザー』のメロエピソードの流れを汲む回も多く、毎回純粋に見るのが楽しみな作品でした。
 『ガイキング』と言えば、思い出されるのは何と言っても後期に追加された驚愕の最終攻撃形態フェイスオープンでしょう。恐竜型巨大攻撃空母である大空魔竜の頭部が腹掛けよろしくガイキングの装甲になるという当初の発想にも驚いたものですが、ガイキングの顔部分が外れて武器が剥き出しになるフェイスオープンの衝撃はその比ではありません。人間の発想力の深淵さすら感じるほどです。アニメプロやアニドウの忘年会では『ゲッターG』の必殺技シャインスパークをもじった「社員スパーク」や、このフェイスオープンが格好のネタとして大受けしていたものです。
 『ガイキング』で思い出すのはもうひとつ。ED曲「星空のガイキング」の歌詞です。流れ星をガイキングに見立てる歌詞には、レイ・ブラッドベリから石ノ森章太郎の『サイボーグ009』を経て、後の劇場版『セーラームーンR』のラストへと連綿と続く流れ星モチーフが感じられて聴くたびに感無量です。挿入歌である「たたかいの野に花束を」もミッチこと堀江美都子の歌唱が絶品で、音楽的にも恵まれた作品だったと思います。なおこの流れ星モチーフは最終回で形を変えて画面に実現しています。
 『ガイキング』は現在、CGによるリメイクが進められ、先日の東京国際アニメフェア会場でもお披露目されていましたが、それだけの力を秘めた素材ということでしょう。

 もうひとつロボットもので『超電磁ロボ コン・バトラーV』も欠かせません。これは東映本社のテレビ部が初めて東映動画でなく創映社と組んで作った作品という点で異例です。それだけ当時の巨大ロボットアニメ市場が加熱していた証でしょうか。売り物の合体変形に5台のメカの合体という新機軸を打ち出し、それぞれのメカの搭乗者の構成は東映伝統の戦隊シリーズに準拠したものになっています。
 『コン・V』では総監督を務めた長浜忠夫さんによるドラマ作り、とりわけ終盤における敵方の大将軍ガルーダの悲劇が大きな反響を呼びました。以後、母子の確執、出生の秘密といった新派悲劇的な要素をこれでもかと展開する長浜式ドラマティックアニメが歴史上に刻まれて行くことになります。
 長浜さんはアニドウの上映会にもお見えになったことがあるのですが、私は受付やアナウンスで忙しく、直接お話ししたことはほとんどありません。聞くところによるとファンをとても大事にされる方で、自分の手がけた作品にも誇りを持っていらした方だったようです。打ち合わせの席上では絵コンテを手に全てのキャラを声色を使って演じていたとも聞きます。そんな熱さを持った長浜さんは1980年に48歳という若さで亡くなり、現在では忘れられかけた存在になっているような気がしますが、アニメブームの立役者の1人でもあり、ブーム以前のアニメファンと業界をつなぐ道を地ならしされた方でもあり、その功績は多大なものと思います。
 また『コン・V』ではメカニック設計にスタジオ・ぬえが、キャラクター設計に安彦良和さんが当たり、人気を博しました。中でも一番は現在でも人気が衰えないヒロイン南原ちずるでしょう。この名には逸話があり、コアなファンは画面表記の「ちずる」ではなく「ちづる」を使用するのです。その理由の全部はここには書きませんが、再び富沢雅彦の『PUFF』誌上の文によれば、「ずる」という文字がもたらす語感の悪さに加え、漢字で書いたなら「千鶴」であろうとの推察があり、この辺にも富沢雅彦の文字に対する感性の鋭さを見て取ることができる思いです。

その80へつづく

(10.04.09)