アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その70 恐いもの知らずの翻訳騒動

 1974年の始まりを飾る1月28日のアニドウ月例上映会は、イギリスBBC放送製作の長編「目で聞き、耳で見る(The Eye Hears, The Ear Sees)」でした。これはノーマン・マクラレンへのインタビューとNFBでの制作風景を収めたもので、タイトルはシェークスピアの「真夏の夜の夢」のボトムのセリフからきています。一見矛盾しているように思えるタイトルですが、マクラレンの独特の作風に触れれば実に腑に落ちる、的を射たものです。
 このフィルムは杉本五郎さんがコレクションから提供してくれたもので、そもそもは1971年にマクラレンが最初で最後の来日をした際に、杉本さんが自作の短編アニメーションをマクラレンに贈呈し、帰国後のマクラレンがその返礼にと送ってくれたのが、この「目で聞き、耳で見る」だったのです。
 この貴重なフィルムはその後、全国総会でも上映されていますが、当然ながら原語版です。しかも内容がインタビュアーとの対話が中心なので、全国総会のようなとにかくフィルムが見られれば満足というマニアばかりが集まる場所ならともかく、一般の月例会で上映してもほとんどの人が理解は難しいのではないかという懸念がありました。アニメーションを見る時は基本的に原語版が望ましいという主義の私も、情けないことに、長い会話、ことに技術的な事柄を含む話のヒアリングはまるでお手上げです。
 まずは取りあえず日本語に訳すことから始めなければなりません。会員のつてを辿って友人のアメリカ人学生に試しに聞いてみてもらったところ、中で話されている言葉は英語ではなく米語で、しかも仏系の多いカナダならではのフレンチカナディアンなまりがあってよく聞き取れないとのことで、録音テープを本国の知人に渡して翻訳してもらうという国際的なことになってしまいました。そんな苦労までしてもらったのですが、訳してくれた人がアニメーションについて詳しくなかったために意味不明な箇所があり、杉本さんの自宅でフィルムを映写してもらいつつ数人で訳と照合するという作業を行いました。
 しかし長編番組だけに訳文も大量です。上映会で印刷した訳文を配るとしても、映写中の場内は当然真っ暗で読むことはできません。そこでいっそアニドウ内で独自に吹替え版のテープを作り、会場内でフィルムの上映に合わせて音声を流そうという、かなり無謀な案が浮上しました。
 このフィルムの中でマクラレンは「エイゼンシュテインに感動してこの道を目指したこと」「技法への挑戦が自分にとっては有意義で重要であること」「一番大切なのは動きであること」等、彼の作品を理解するための重要な発言をしています。また人間をコマ撮りした『隣人』の制作途中、連続300回ほどジャンプしてもらったところで、相手が心臓に異変をきたして、1週間ほど撮影が中止になった等の裏話も披露しています。これはやはり、意味が分かって見るのとそうでないのとでは大違いでしょう。
 しかし訳文を作るために時間を取られてしまって満足な準備期間もなく、ついには28日の上映会当日、上映開始のわずか3時間前に、リハーサルもないブッツケ本番でテープに吹き込むという綱渡りのような作業となってしまいました。アニドウならではの泥縄なこの作業は、アタフタレコーディング、略してアフレコと称されたものです。
 キャストはインタビュアー役に前回書いた『つる姫じゃ〜!』での主演の経験を生かして並木さんがあたり、肝心要のマクラレン役は、当時大学生でアニドウに出入りしており『つる姫』でも農民役その他で熱演していた須藤隆さんが抜擢され、ピクシレーションの『隣人』にも出演していたNFBの作家グラント・マンロ役には古参会員の藤田登さんがあたりました。
 マクラレンのネームバリューはやはり大きいのか、上映会場の高円寺会館はほぼ満席となる100人余りの入場者で埋まり、テープの同時再生も、多少のミスはありながらもおおむね好調に過ぎ、アニドウ史上初の同時通訳の試みはまずは成功裡に終わったのでした。
 当時はワッと盛り上がった勢いのままに押し進めた翻訳劇でしたが、後々冷静に考えてみると、これは若さゆえの怖いもの知らずが生んだ神をも恐れぬ行為だったと言ってもいいでしょう。現在ならもっとよい方法があるのではないかと思われます。この作品は、最近では2004年3月の上映会で上映されたとアニドウの記録にありますが、その時の様子はどうだったのでしょうか。なお、この訳文は「季刊ファントーシュ」1、2号に分載されています。

 現在でも広島国際アニメーション・フェスティバルで海外の長編、ことに子供も見られるプログラムの作品の上映の際に、舞台上にボランティアの学生さんと思われる人が上がり、スクリーンの横で生アテレコをやってのける場面がしばしばあります。難しい作業なので、画面と語りがずれてしまうことや感情の乗りに難があることもままあり、賛否両論を呼んでいますが、決して潤沢な予算があるわけではない広島においては、やむを得ない選択なのかも知れません。
 そんな光景を見るにつけても、かつての皆若くて無鉄砲で向こう見ずだったあの頃が、偲ばれたりもするのです。

その71へ続く

(09.11.27)