アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その61 続・ハイジ始まる

 建物から木や草花に至るまでの舞台と大小の道具類、そうした諸々の設定を生かし、キャラクターの雰囲気や動きの基本を合わせ、つまりは世界観を統一して、絵コンテに表わされた演出意図を的確にアニメーターに伝えるために採られたのがTVアニメで初の導入となる個人によるレイアウト集中先行システムでした。『パンダコパンダ』の時にもこの方法が採られていますが、あれは1本に集中して作業できる劇場用作品、『ハイジ』は毎週放送されるTV番組です。その当時のTV番組とは放映後にソフトとなって一般に販売されることなど想定されていない、つまり再放映はあっても基本的には放映したら消えてしまうという性質のものだったにも関わらずこのシステムを採ったことにもメインスタッフの『ハイジ』にかける思いの強さを感じることができます。

 動画用紙よりも薄いレイアウト用紙に描かれた宮崎さん直筆のレイアウトはそれは美事なもので、鉛筆と色鉛筆を使って描かれた柔らかい線の味わいがたまらなく魅力的です。カメラアングルやカメラワーク、セルと背景の区別はその時点できっちりと決められ、キャラクターの絵は小田部さんの修正が入ることを前提に大きさや位置、パースは正確に押さえながらも宮崎さん流の絵になっていて、そこにまた完成画面とはひと味違う独得の味わいがありました。宮崎さんのレイアウトは写実よりも、人間が見て気持ちいい絵として描かれており、例えばテーブルの上の食器や草原に咲く花々など、いわゆる黄金分割ともまた少し違う宮崎さん流の気持ちいい配置になっていました。『ハイジ』を見て人々が感じる心地よさの源のひとつはこれだと思います。
 原画マンはそのレイアウトと小田部さんのキャラ表を参考に原画を描きます。時には単なるレイアウトでなく、原画の参考図が何枚も入っていることもありました。私が見た中で驚いたのは、小鳥が画面を横切って飛ぶカットです。『ハイジ』での小鳥の飛び方は羽を上、下の2枚、中割りなしで描くのですが、その全ての動きが1枚のレイアウト用紙に運動曲線と共に描き込まれていたのです。
 こうした場合、動きのラインに合わせて丸で小鳥の位置を示す、あるいは最初の1枚だけ描いて後は矢印で動きを示すのでも別段不足はないはずなのですが、それよりも自分で全てを描いてしまった方が早い。天才とはそういうものなのでしょう。そのカットにはそのまま動画に回してくださいとの指示が入っていました。必要なのは清書だけ、だったのです。
 レイアウトそのものもすごいのですが、もっとすごいのはこの作業が毎回全カット、最終回までの1年間全話に渡って続けられたということです。前人未踏の未曾有の偉業という他ありません。

 そして小田部羊一さんの仕事もそれを上回る困難な挑戦でした。作画監督としての小田部さんはバンクカット以外の全ての原画をたった1人で修正し、キャラクターを合わせ、動きを統一したのです。私は今でも小田部さんがこの過酷な仕事を引き受けるに至った決断が信じられないような気がします。寡黙で華奢な身体のどこにそれだけの力を秘めていらしたのか、不思議な気がします。終始気を張っていたのでカゼをひく暇もなかったと笑って語られる姿を驚きをもって見つめてしまいます。小田部さんの仕事もまた前人未踏の偉業でした。
 小田部さんは『ハイジ』のキャラクターデザインも担当し、ロケハンでの成果を生かしつつ様々なキャラクターを生み出して行きました。その絵はどれも端正で、東映動画の大先輩である森康二さんの流れを汲むデリケートな魅力にあふれていて、1枚の絵を見ただけで描かれたキャラクターの性格がすっと理解される、それは見事なものでした。『ハイジ』全体に漂う上品さは紛れもなく小田部さんの絵の力がもたらしたものであり、それはその人柄が反映されたものに違いありません。
 私の一番の驚きはハイジの髪型でした。それまでどの本や絵本、マンガを読んでも、ハイジは民族衣装に三つ編みのお下げ髪で描かれていましたから。デザインのヒントはある人の「アルムのおじいさんは髪を結ってはくれないだろう」の一言だったそうで、言われてみれば確かにそのとおりの目からウロコ的事柄なのですが、初めて短い髪のハイジを世に問うた小田部さんの決断には、やはり感嘆せざるを得ません。今ではこの髪型のハイジが世界中で受け入れられていることにも納得です。
 動きに関しては小田部さんの力は勿論、動画チェックの役職名で入った篠原征子さんたちの力も大きなものでした。動画チェックという役職が設けられたのも『ハイジ』が初のことです。
 当時は、動画をきれいな線で原画どおりに丁寧に描くという当たり前のことすら往々にして守られていない時代でした。ましてや動画の中割りなど、原画に合わせるより自分の感覚で描いてしまうので、TV画面で見ると動きはガタガタ。でもそれでも通ってしまうという時代でした。そんな出来でも1枚あたりの単価は均一で支払われましたから、とにかく枚数を上げればお金になるという意識の人もいて、外注のことを「害虫」と影で呼んでいた会社もあったくらいです。そんな中で篠原さんたちの動画チェックは作画の最後の砦の役を果たしたのでした。
 でもそこは人間。余りにもひどい出来の原画や動画はスタッフルームの壁に見せしめのように貼り出されていたとも聞くと、今も冷や汗が出てきます。
 私はといえば、正式に動画マンになってまだ1年も経っておらず『ハイジ』のような細かい芝居をする作品に入るのは初めてのことで、ゆっくりとした振り向きのカットでハイジのツンと立った前髪をどうしようとか、風をはらむスカートの描き方はとか、悩むことばかりでした。幸いオープロは半パートの作画担当で話の流れもつかめ、原動画が一緒の部屋にいるおかげで分からないことや難しいカットは何でも尋ねることができて、大いに助かりました。オープロでは、動画マンはでき上がった動画を才田さんや村田氏にチェックしてもらってから本社に戻していましたので、動画チェックの仕事も多少はやりやすかったのではないかと希望を込めて思っています。
 そんな風に苦労して仕事をしても、エンディングのスタッフ名には原動画共に載せる人数に制限があって、担当した話数に必ず名前が載っているとは限りません。このあたり、画面に表示されたものだけを絶対的資料とすると間違う危険性もありますので、後の研究者の方はご注意ください。ついでに言うと、Wikipediaの『ハイジ』の項のスタッフ表記は間違いだらけなので、こちらもご注意を。

その62へ続く

(09.07.24)