アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その47 1972年の事柄

 1972年のアニ同は、昨年末に毎週月曜日の集会場にしていた新宿のマンガ喫茶コボタンが改装のために使えなくなり、年明けから代々木の喫茶店モンザへ移動。しかしここでは上映ができないために春に高円寺のカサ・デ・エスペランサへ再移動。何とか上映のできる環境を取り戻し、また月例上映会も順調に開催しながらも、今度は当時とっていた会費制を見直すか否かで論議が起こるといった具合に波のある1年を過ごしていました。
 会費については当時のアニ同では正会員・準会員制度をとっており、正会員は毎月50円の会費と上映会入場時に100円を支払い、準会員は上映会に参加する時だけ入場料を支払うという決まりでしたが、郵便料金の値上がりやフィルム代の捻出のために正会員の会費を上げるべきか否かが問題だったのです。月50円というといかにも安そうに聞こえるでしょうが、当時はハガキ10円、銭湯45円の時代でしたし、喫茶店の集会には飲食代もかかりますから低収入のアニメーターや学生にとっては大きな問題だったのです。これについては結論を得ないまま年を越しています。

 月例上映会は1月の『長靴をはいた猫』を手始めに順調に回を重ねました。中でも、6月に高円寺会館で開かれた『やぶにらみの暴君』は、アニ同創立2年目の1968年5月に日本青年館ホールで上映された時にも600人の観客が集まるという活況を呈した、アニメファンにとっては見逃すことができない定番中の定番の1本ですが、この1972年の上映も特別な宣伝をしなくても沢山の人が集まりました。
 『やぶにらみの暴君』(1952年)については自著『アニメーションの宝箱』にも書きましたが、監督であるポール・グリモーの意に添わない形で公開され、にも関わらずその素晴らしい内容に世界中で高評価を受けた作品です。後1979年にグリモー自らの手によってその意に適うものとして『王と鳥』と題して改作され、その『王と鳥』はさらに後、かつて『やぶにらみの暴君』に深い感銘と影響を受けた高畑勳・宮崎駿両監督の関係するジブリ美術館ライブラリーのひとつとして劇場公開され、またDVDにもなっています。
 『王と鳥』によって『やぶにらみの暴君』はその本来のラストまでを見通せる作品として甦りました。しかし完成までにグリモーの後半生を費やした長過ぎた歳月は『王と鳥』から『やぶにらみの暴君』にあった多くの素晴らしいものを、尽きせぬ魅力を失わせていたと言わざるを得ませんでした。音楽も声も変わり……殊に残念なのはこの『王と鳥』が、かつての『やぶにらみの暴君』の画面と新しく作り直した画面がつぎはぎの状態になっているという事です。アニメーターの作画は実写映画の俳優たちの演技にも相当します。かつてのしなやかに美しい動きも、デリケートな表情も、新作部分は及びもつきません。それが精一杯の方法だったと知りつつ、もしも最初から完全な新作として『王と鳥』が作られていたなら、私たちはこんな苦い思いをしなくてもすんだことでしょう。『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』をふたつ共に享受することができたでしょう。
 しかしグリモーにとって『やぶにらみの暴君』はあるべき作品ではなかったのです。彼は『やぶにらみの暴君』のフィルムを世界中から回収して抹消しようとし、その意思は彼の死後も遺族に引き継がれました。この美しいフィルムを、人類の文化史上の宝を失わせてはならない。私は強く強く、そう思います。権利の切れる未来まで待たずとも『王と鳥』でない『やぶにらみの暴君』をこそ多くの人に観てもらいたい。そう願います。あらゆる機会をとらえて『やぶにらみの暴君』の価値を伝えること。それが私にできることです。時代がブルーレイに切り替わりつつある今こそ、その好機なのではないか、何らかの方法があるのではないか。そう思いながら。
 なお、この上映会時のフィルムは故・杉本五郎さん提供のもので、ちょっとした特徴があります。このフィルムをどこかで見かけるたびに、それは杉本さんを思い出すよすがにもなっているのです。

 『やぶにらみの暴君』の話が過ぎましたが、1972年のイベントではパペットアニメーショウの他に、2月に森卓也さんを解説に招いて渋谷のジァンジァンで「ギャグ漫画映画の系譜」として10数本が上映されたフィルムアート・シネマテークが開かれています。森さんといえば名著『アニメーションのギャグ世界』の再刊も近いと聞きます。何か時代がぐるりと一回り巡った気がします。

その48へ続く

(09.01.09)