アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その111 おしまいの日

 それは「1/24」第30号編集中のある夜のことでした。アニドウの事務所兼編集室である通称デンバラヤにいたのは4人。私と並木さん、手伝いのK君、G君。私は動画机に向かい、K君、G君はそれぞれの場所で、3人でいつものように雑談をしながら作業を進めていました。並木さんだけは机と机の間の床に膝を抱えるような姿勢で座り、下を向いて押し黙ったまま何か考えているようでした。そして突然、私に向かって「出ていってくれ!」と怒声が飛んできました。人間があんな冷酷な顔をするのを初めて見ました。後の独裁時代の並木さんしか知らない人たちには並木さんが怒鳴るなど珍しくもないでしょうが、私がいた頃にはそんなことはなかったのです。例えば意見の食い違いのあげくにとか、何らかの言い争いをしてというなら納得はできなくとも理解はできますが、全くわけも分からないまま、何の前触れもなしの言葉は大層ショックで、私は一言も返すこともできず部屋を出るしかありませんでした。営々と積み重ねてきた日々はこうして呆気なく終わりました。その日を境に私がアニドウの上映会に関わることも編集に携わることもなくなりました。あの時の並木さんの顔と怒声が浮かんできて、どうしても足が向かなかったのです。フラッシュバックという言葉を知ったのは最近になってです。

 そのまま30年近くが過ぎ、2007年に杉並公会堂で開かれたアニドウ創立40周年記念会の参加を契機に並木さんと会話を交わすようになりました。
 後日2人だけで話す機会を持ち、あの夜のことを尋ねた私に並木さんはこう答えました。「もう忘れてしまって思い出せない」「殴った方は忘れても、殴られた方は忘れない、そういうものだろう」と。「『1/24』というと、どいつもこいつも富沢さん富沢さんと言いやがって。オレだってやってるんだ」とも。ああ、そんな気持ちでいたのか、自分を編集長にと言い出したのはそういうわけだったのかと暗澹としました。私が人から信頼されていたとすれば、それは編集長という名のせいではなかったのに。ほんの一言でいいから「あの時は済まなかった」という言葉を聞けたならと思っていたのですが、それは望むべくもありませんでした。

その112へつづく

(11.07.08)