アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その107 続・『未来少年コナン』特集本

 前回、インタビューのことを書きましたが、実は宮崎駿さんに関しては少し事情が違います。『コナン』本にはインタビューの日付は1月29日、場所は西国分寺すかいらーくと記してあり、これは事実ではあるのですが、その後の経緯があるのです。
 「1/24」では以前、第13・14合併号で『三千里』の特集をしており、宮崎さんのインタビューも載せていますが、その時の取材は並木さん1人で、私が宮崎さんにお会いするのはこの『コナン』本が初めてでした。待ち合わせの駅前に宮崎さんは愛車シトロエン2CVで現れました。当時の私はシトロエン2CVについては多くを知りませんでしたが珍しい車や変わった車、重機や工事用車輌等が大好きで、シトロエン2CVはそんな私の目にとても魅力的に映りました。並木さんと金田康宏さんは後部座席に、私は宮崎さんの隣の助手席に乗せていただき、もの珍しさに目を輝かせてあちこちを見回しながらずっと「素敵な車ですねえ」と言っていたような気がします。そんな私に宮崎さんは車の屋根が開くことを教えてくれたり、駐車場でヘッドライトが上下に動くところを見せてくれたりしました。コナンがダイス船長の目を盗んでロボノイドに乗り込み興味津々で動かすシーンがありますが、その気持ちがよく分かります。私もコナンのようにわくわくしながらライトの光が動くのを見たものです。
 インタビューはなぜか並木さんの人生相談から始まり、宮崎さんは一夫一婦制の是非を語るという変則的な出だしでしたが、その後は順調に進み、あらかじめまとめておいた質問メモを元に数時間お話をうかがうことができました。その後長時間かけてテープ起こしをし、誌面には載せられないような脱線話は除いて原稿用紙にまとめ、チェックをしていただくために日本アニメーション社内の宮崎さんに届け、一段階終えた気持ちでオープロで動画の仕事に勤しんでいた昼間、突然電話がかかってきました。宮崎さんからで、作品について作者がものを言うべきではないので全部ボツにしてほしいとの申し出でした。思いもよらない事態です。宮崎さんのインタビューがなくなればこの本の発行そのものに意味がなくなってしまいます。私はもう必死で何とか翻意していただけるよう、受話器を握り締めて、『コナン』の素晴らしさ、インタビューでお聞きしたお話の重要性、これらを是非とも多くの人に伝えたいこと等を訴えました。「私は宮崎さんにお会いできて本当によかったです!」と叫ぶように言う私に宮崎さんは「分かりました。あなたは素敵なひとですね」と言ってくださいました。思いが通じたという気持ちで胸が一杯で電話を切った後、泣いてしまったほどです。この無我夢中の遣り取りを通して、宮崎さんは私を信じてくださったのだと思います。その後の流れはスムーズでした。インタビュー原稿は元を生かした上で、宮崎さんが仰りたいことをご自分で加筆してくださるという形に落ち着きました。頂いた原稿はインタビューで語られた麦わら帽子と自転車の少女への憧憬や、少年時代の憧れのいとこの話はそのままに、当時の宮崎さんの漫画映画への熱い思いが一杯に詰まったものになっていました。質問者の発言を含めての加筆部分には「富沢さん(私)にもそういう気持ちがあると思って」と書き添えられていました。ありがたいことです。そしてこれ以来、機会あるごとにシトロエン2CVに乗せていただくのが私の至福の時間になりました。後に『カリオストロ』で印象的な登場をするシトロエン2CVですが、そのルーツはもしや? と想像してみたりもするのです。

 商品カタログ、コナン大百科の作成でも多くの人の協力を得ています。商品カタログを担当してくれた柳沢潤一さんは日頃から「1/24」にその手の投稿をしてくれていて、その縁で頼んだものですが、文具玩具はもちろん、お祭りの屋台から子供用下着まで足で探して自費で購入してくれました。また全国の読者も多くの情報と実際の商品を提供してくれました。提供といえば原画やセル、レイアウト等もたくさんの読者からの貸与がありました。それらをクーラーのない真夏のベルバラヤで何日もかけて撮影してくれたのが林原賢治さんで、『コナン』本に限らず色々とお世話になりました。
 コナン大百科は地理風俗の担当が吉成寛さん、大中小道具の担当が原口智生さんと友人たちです。知識豊富で柔和な吉成さんは後に本物の教師になりましたし、私と特撮友だちだった原口さんは特殊メイクの第一人者となり特撮監督としても活躍しています。これら大百科の項目を挙げるのも一仕事でした。原口さん、五味伸一さん、私の3人で夜ごとオープロのリビングに集まっては『コナン』のビデオをかけて項目をチェックしていきました。オープロのビデオはこのせいで大分傷んだと思います。申し訳ないことをしました。

 私はこの本では発行人として表記されています。もちろん納得の上のことで、普段の「1/24」では編集長でも発行人でもしていることは同じなのでどちらでも構いませんが、この『コナン』本に限っては編集をしたという実感があります。インタビューにまつわる人選と派遣、テープ起こしとそれ以降の作業、図版の選定、写植指定、金銭管理、総勢20人に及ぶ編集協力者への采配と、実務に全力を傾注したものです。今回は大ページなので本文のレイアウトはプロの手になりますが、あの真っ黒な表紙は並木さんの趣味です。表紙に関しては2人であれこれ悩んだのですがどうにも決定打が浮かばず(私は宮崎さんのボードを使いたかったのですがカラーにすると経費が上がるのです)、時間切れぎりぎりになって並木さんが絵コンテのコピーを切り刻み一面にバーッと貼りつけ始めました。それを白抜き反転にしてあの表紙になったのです。私としては微妙な印象ですが、後々黒本と異名を取るほどのインパクトあるものに仕上がったとは言えるでしょう。背表紙の「ANIMA-LIFE BOOK」の文字入れ(当時話題の「アニマルライフ」のパロディ)、本文の紙の選定、印刷所との折衝も並木さんで、各種付録をつけたのも並木さんの発案です。本当は往年の月刊少年雑誌の豪華十何大付録を再現したかったようですが色々と都合もあり、付録は浦谷真人さんたちによる表紙共92ページの「太陽塔1/24」、福山さんのイラスト満載32ページの読者感想文集、浦谷千恵さん作のラナ&モンスリー着せ替え塗り絵、福山慶子さん作のコナンすごろく等々に収まりました。これらは1年間お待たせした予約者のために作ったので現存するものは少ないかもしれません。
 『コナン』本は当初予想を遥かに上回る大冊となり頒布価格も上げざるを得ず、予約者の方々に郵便で連絡し、差額の支払いと返金のどちらかを選んでもらうことになりました。大多数の方は差額を送ってくれましたが、1年に及ぶ制作期間の間に住所が変わり移転先不明で戻ってきたものが何通かあり、これは今でも気になっています。現在は有名なクリエイターになった人もいて、その名を見るたびに申し訳ない思いに駆られるのです。
 長かった編集が終わり、金田康宏さんを主力に皆で校正を繰り返しつつやがて印刷が上がった喜びもつかの間、床が見えないほどの本の山に囲まれて今度は発送に追われる日々が続きました。都内近郊の方には直接受け取りにきてもらったりして省力化を図りましたが、何せ1冊が重いので、運搬、梱包、郵便局への移動と書籍小包のスタンプ押し等ひとつひとつの作業が大変でした。当時は私と並木さん以外はほぼ学生で車を持っている人間は皆無でしたから、何事も人力の人海戦術だったのです。五味伸一さんと井上則人さんには近郊の書店への営業回りを頼み、読者にも販路拡大の協力を呼びかけ、様々な機会に宣伝と販売を行い、コミケにも参加する等あらゆる努力を重ねましたが、しばらくは100万ほどの赤字が続いていました。それでも何の時だったか、宮崎さんに「あの黒い本が残ったからいいじゃないですか」と言われたことがあります。喜んでいただけて本当に嬉しく、報われた思いがしました。今では優れたプロのライター、編集者の手になる資料集やムックがたくさんありますが『コナン』本はそれらの先駆けの1冊としてアニメの歴史に少しでも残れたかと思うと感無量です。

その108へつづく

(11.05.13)