アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その101 「1/24」を巡る人たち

 前回に引き続き「1/24」を巡る人々について書いてみます。今回は編集部と読者についてのことを。
 アニドウでは「1/24」の編集や運搬、発送、販売等の雑務、上映会の手伝い、アニドウ事務所兼編集室の電話番等をしてくれる人たちをアニドレイと称していました。これは駄ジャレ好きな並木さん流の呼び方で「アニドウ」と「奴隷」を合わせた言葉です。こうして漢字で書くと随分非道に見えますが、少なくとも私がいた頃はそんな扱いはすることもさせることもしてはおらず、単なる言葉の遊びでした。アニドレイという呼び方は男子に対してで、女子に対しては自称はともかく使ってはいなかったと思います。今ならアニメイドとか言いそうですが。
 お手伝いは上映会場や電話や手紙等で申し出てくれた人たちが主で、こちらから連絡してお願いした人もいます。私がいた頃は全くの無報酬で、これはアニ同時代からの伝統でもあります。ただし編集を始めると編集室にいてもらう時間が長くなりますので、お茶や食事を私費で奢ったりすることもありました。喫茶店は近くのコンソール、食事は中華徳大が定番でした。私がアニドウを離れてからはアルバイトとしてお金を払っていた時期もあると聞きます。
 感謝を込めて順不同で名を挙げさせてもらうと、角川弘明さん、篠幸裕さん、五味伸一さん、金田康弘さん、半沢篤さん、井上則人さん、飯田勉さん、唐沢俊一さん、片山雅博さん、島谷光弘さん、本郷満さん、吉成寛さん、林原賢治さん、君野直樹さん、女性では金春智子さん、吉田ゆみさん、大塚多恵子さん、保谷由佳さん、武荒恵さん、福山慶子さん、他にも多くの人たちが出入りしてくれました。これらの人の中には後にアニメ界入りした人、今も業界の中堅として活躍している人も多く、また違う分野で名を成した人もいます。飯田勉さんは飯田馬之介の名でアニメ監督となり『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』『おいら宇宙の探鉱夫』等の傑作をものしました。唐沢俊一さんは今や雑学の第一人者であり、多岐に渡って活躍の場を広げています。片山雅博さんは自主アニメ制作グループえびせんや漫画家協会、日本アニメーション協会、広島アニメーションフェスティバル実行委員、多摩美大教授等々、日本のみならずアニメ界にとってかけがえのない人です。君野直樹さんは政岡憲三さんに弟子入りし貴重な教えを受けた生き証人でもあります。五味伸一さんは実は現在の私の夫ですが、アニドウで「1/24」の版下チーフ、書店回りの営業活動の中心として活躍するうち、現実の写植メーカーへ就職、営業職に就いてしまったのはアニドウが人生を誤らせてしまったのではないかと思っています。島谷光弘さんも現在編集の仕事に就いていますが、これもアニドウに責任の一端があるのではと思います。金春智子さんは現在、脚本家、シリーズ構成としてアニメ界で活躍していますが、学生時代に吉田ゆみさんたちと作っていた同人誌「エスカリア」はアニメスタッフへのインタビューや女性ならではの作品考察の目が光る貴重なもので、私の憧れのひとつでもありました。「1/24」でも、こんなふうにひとつの作品を取り上げて掘り下げ、資料価値のある誌面を作りたいと思っていたのです。アニドウを離れ東京を去った際、私は大部分の資料を手離してしまったのですが、この「エスカリア」は今も「1/24」と一緒の本箱にしまってあり、何かの際に目を通しては往年の情熱を呼び覚ますよすがとしています。福山慶子さんはマンガ家ふくやまけいことして誰にも描けないオンリーワンの存在となっていますが、その可愛らしい画風の中に政岡憲三さんから森康二さん、宮崎駿さんと連綿と続く日本の正統な漫画映画の系譜が確かに見てとれます。福山さんが伝説の同人誌「ふくやまジックヴック」の中で、「1/24」に手紙を出すと返事が来ると言ってくれたのはとても嬉しいことでした。もしかしたら彼女のデビューのきっかけのほんの少しに私もなっているのではないか、ということが誇りのひとつです。福山さんから個人的にいただいた手紙や「綿の国星」の手作りフェルト人形は、今も大事に持っています。福山さんは一時期電話番もしてくれていましたので、それと知らず彼女と話した人もいるかもしれません。
 この他にも沢山の人たちの力を借りて「1/24」は作られていました。大部分の人とは今もずっとお付き合いが続いており、mixiでつながっている人も多いのです。共に過ごした時間は今思えばほんの短い間なのに、その熱く濃い時間は一生の絆を育んでくれたのでした。
 「1/24」のもうひとつの大事な存在。それは読者です。アニドウの会員も「1/24」の定期購読者も、上映会や限られた店頭で手に取ってくれる人たちも、皆等しく大事な存在でした。私にとって「1/24」は専門誌、アニメ雑誌というより同人誌的であることをこそ大切にしていました。お便りコーナーをぎりぎりまで手書き文字で続けることにこだわったのも、ページの隅々まで使ってひとつでも多くの読者の声や意見を載せようとしたのも、その表れです。アニドウには手書きの「1/18」の頃から心待ちにしてくれる愛読者がいましたし、活字の「1/24」に移行し号を重ねるうち、投稿の常連も増えました。そのほとんどの人の名前は今も記憶の一隅を占めています。今は社会やアニメ界の中堅になっている人たちの名を思いがけず目にする時、何とも言えない喜びが湧き上がります。つい最近、この連載が切っ掛けになってかつての常連の1人と交流が復活したのも嬉しい出来事のひとつです。
 夢野一子というペンネームでマンガ家デビューしたトルンカの大好きな大越和子さん、声優になった向殿あさみさん、後に徳間書店からアニメポスター集の文庫を出した平出文己男さん、『わんぱく王子の大蛇退治』が大好きな梶井照夫さん、『アニメージュ』初代編集長の尾形さんとも親交のあった梅名英生さん、かつてのディズニー・クラブの会員でよくカットを投稿してくれた山中弘之さん、今はスタジオジブリのアニメーターとして活躍する二木真希子さん、「プリンセスメーカー」等でお馴染みの赤井孝美さん、今の私のよきアドバイザーでいてくれる高橋さえ美さん、特撮ジャンルで活躍する原口智生さん、当時からアニメキャラを使った4コママンガの名手である萩田憲司さん、福山さんと共に後半の「1/24」のカットを引き受けてくれた浦谷千恵さん、他にもちょっとバックナンバーを繰るだけで、柳沢潤一さん、林穣治さん、杉浦邦一さん、早乙女寿さん、山内直実さん、江川康宏さん、八崎健二さん、沢田史信さん、片渕須直さん……等々沢山の人たちの名が現れてきます。もちろん、こうして誌面に名前が載っているのはほんの一握りの読者で、もっともっと大勢の方々から編集部宛に毎日沢山のお手紙をいただいていたのです。私の方からも随分手紙を書きました。毎日編集部に通ってその日に来た手紙を読むのはとても楽しい時間でした。中で今も忘れられない投稿があります。女子高生と思われる読者からのもので、『マジンガーZ』の兜甲児への愛情あふれる文章でした。私はこれを是非載せたいと思ったのですが、ちょうど上映会の感想を中心にした読者ページの構成をしていたこともあって叶いませんでした。そこで、手紙を読んでとても感動したけれど誌面の都合で掲載できなかったこと、是非また感想を寄せてほしいこと等を綴って返事を出しました。誌面に現れないところで、こういう交流は熱心に行っていたものです。
 私が「1/24」で目指したことのひとつに、私たちの世代の書き手を出したい、育てたいということがありました。先行するディズニー世代の書き手とはまた違う私たちの言葉を持ちたかったのです。それに応えてくれたのが浦谷真人さん(千恵さんのお兄さん)、金田康弘さん、吉成寛さん、林譲治さんたちでした。特に西の浦谷、東の金田(評論ではペンネームを使用)と呼ばれた両君の評論対決は読む者を唸らせる鋭さを持っていました。この2人は難しい漢字を多用するという傾向も似ていて、ページ全体が黒っぽく見えたりしたものです。この論客2人も現在はよき家庭人に修まっているのか動向を聞きません。往年の筆の冴えを再びと期待しているのですが。これはアニドウを離れてしまった私の心残りのひとつです。また北海道から上京し上映会の手伝いをしてくれるようになった唐沢俊一さんも「1/24」の常連の1人で、第23&24号掲載の「ベティ・ブープをもう一度!」等は確かな文章と構成で現在の才能の片鱗を見せています。この頃は若さゆえの皮肉が目につくこともままあったのですが、現在はすっかり角も取れ円熟味が加わり、いい歳の取り方をしていると思わせられます。
 以上の名前は「さん」づけで記していますが、全員私より年下なので、当時は男子は「くん」づけで呼んでいました。今もコミケ会場等でつい「唐沢くん」と呼びかけてしまうのはいかがなものかと自問してはいるのですが。また、中にはすでに鬼籍に入られた方々もいます。信じられない思いを胸に謹んでご冥福をお祈りすると共に、今後の連載の中で再登場願うことをお許しいただければと思っています。異論のある方は化けて出てくれれば本望ですから。

その102へつづく

(11.02.18)