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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第86回 『エスパー魔美』再見 「最終バスジャック」

 DVD-BOX解説書のお手伝いをするのに合わせて『エスパー魔美』を観返した。『エスパー魔美』は1987年から89年まで放映されたTVアニメ。原作は藤子・F・不二雄。主人公の佐倉魔美は中学生で、おせっかいな超能力少女だ。彼女がエスパーである事を知る友人の高畑和夫と共に、様々な事件に関わっていく。原作は、藤子作品としては比較的対象年齢が高いものだ。魔美の父親は画家であり、劇中でよく魔美をヌードモデルにして画を描く。アニメ版でも派手な見せ方ではないが、ヌードシーンはあった。
 アニメ版の制作会社はシンエイ動画。チーフディレクターは、後に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『アッパレ!戦国大合戦』等を手がける事になる原恵一だ。『ドラえもん』の各話演出で意欲作、傑作を続出させていた彼が、初めてシリーズ監督を務めた作品である。『魔美』は若手スタッフが中心となっており、原監督も、シリーズ構成の桶谷顕も、放映開始時にはまだ20代だった。
 基本的に、『魔美』は原作のテイストを重視している。シリーズ途中からは原作のストックが無くなり、オリジナル編が中心となるが、原作を使ったエピソードはそれに忠実に作られている。であるにも関わらず、アニメ『魔美』には原作にはない味わいが付加されているのだ。原作とアニメ版の違いをはっきりと言葉にするのは難しい。原作の物語も現実的なものなのだが、アニメ版ではそれが強調されている。それがアニメ『魔美』の特徴のひとつであるのは間違いない。実写のTVドラマのような作り。あるいは地に足の付いた感覚。原監督は、アニメによくある派手なカメラワーク等を排除している。その演出が、本作にリアル感を生んでいる原因のひとつだ。
 1980年代に、生活感を重視した作品がいくつか作られた。『魔法の妖精 クリィミーマミ』『魔法のスター マジカルエミ』『タッチ』『めぞん一刻』『きまぐれ オレンジ☆ロード』。この『魔美』もその一連の作品の1本である。それらの作品の全てのエピソードで、生活感を重視した演出が行われていたわけではないが、確実にその傾向はあった。そして、それらの作品の全てにおいて、メイン、あるいは各話に亜細亜堂のスタッフが参加している事に注目したい。その頃に、そういった作品が続出したのは、TVアニメの歴史が20年を越え、演出技法的に成熟してきたためであるのだろう。そして、それらの隔世遺伝的な作品が、最近の萌えアニメ、美少女アニメと呼ばれるタイトルの中にも散見される。
 『魔美』は生活感を重視しているだけでなく、ドラマ志向でもある。各話完結で、様々な人々のドラマを描いていく。時にシリアスに、時にハートフルに。勿論、原作にもドラマ志向があるのだが、アニメ版はその色がより強い。中には社会派と言って差し支えないエピソードもある。桶谷顕が最初に脚本を手がけたオリジナルエピソードが、38話「最終バスジャック」である。絵コンテは原恵一が担当している。今日はこのエピソードを振り返ってみよう。
 買い物の帰りにバスに乗った魔美は、たまたま、導体テレパシーでそのバスの運転手の心を読んでしまう。運転手は、毎日決まったコースを走る生活を辛いと感じていた。「毎日毎日、同じ道を走るだけの繰り返しなんて……。自由に好きな道を走れたら、どんなに素晴らしいだろう。そうだ、次の信号を左に曲がってみよう。私の好きな道を走ってみよう」。運転手がそんな事を考えていた事を知り、魔美は驚くが、バスは左に曲がる事はなく、決められたコースを進むのだった。彼は日常からの逸脱を夢想したが、その場では実行に移さなかったのだ。魔美は、そのバス運転手が気になり、彼を追いかけ始める。
 運転手の名は宮島。彼の息子は、働きもせずに毎日バイクを乗り回していた。諫める父親の言う事を聞きもせず、毎日同じ道を走っている彼を馬鹿にしたような事を言う。同じ日の夕方、宮島がいつものようにバスを走らせていると、息子とその友人達がバイクでバスを追い抜いていく。バスに乗客はいなかった。宮島は決められたルートを外れて、バスで息子のバイクを追い始める。その真意は……。
 バスの運転手が、決められたルートから飛びだしたいと考えているというアイデアが秀逸であるし、単純にその欲求不満を解消する話にするのではなく、息子との対立と絡めて話を進めていくところが面白い。物語の前半で、魔美は、自分の超能力を使って宮島に好きなルートを走らせる事はできないか、つまり“冒険”をさせられないかと考える。その事を高畑に相談すると、高畑は日常から逸脱したいという気持ちは誰にでもあり、それを押しとどめて生活しているのなら問題はないのではないかと言う。次に魔美が、自分の父親に違う仕事をしたくなる事はないか、“冒険”をしたくなる事はないかと問えば、父親は画を描くのは自分にとって大切な事だし、その中にも、ささやかながら“冒険”はあると答える。新しい画に挑む事が、彼にとっての“冒険”なのだ。魔美の父親はちょっとしたロマンチストであり、いかにも彼らしい回答だ。
 ルートを外れて走るバスに、魔美はテレポートで乗り込む。宮島は魔美に語る。闇雲に走りまくる事は“冒険”ではなく“暴走”だ。自分がやっている事は“暴走”なのだ。そして、自分の息子は“冒険”とはき違えて“暴走”を続けている。自分も好きにバスを走らせたいと思う事もあるが、それはできなかった。なぜなら、正しくバスを走らせるという目的があったからだ。だが、息子には人生の目的がないから“暴走”を続けている。その息子と話をするために、自分は同じように“暴走”を始めた。彼がルートから外れたのは、自分の欲求に従ったためではなかったのだ。エピソードの前半は“日常”と“冒険”をめぐって話が展開し、後半になって、そこに“冒険”と“暴走”の関係が加わっている。今まで宮島が決められたコースから逸脱しなかった理由は、前半で高畑、魔美の父親が言った事と大きく違いはしないが、社会経験のない高畑や、芸術家である魔美の父親の発言よりも、切実なものだった。
 ドラマは、自分の欲求を抑えて自分の仕事をこなし続けてきた宮島の生き方を肯定するかたちになっている。仕事という目的のために、自分個人のフラストレーションは抑える。それがキチンと生きている大人というものだ。そういった考え方をフィルムから読み取る事ができる。そして、そんなふうに自分の欲求を抑えてきた宮島が、息子のために仕事を捨ててしまった。あまりに生真面目なドラマ作りではあるが、その生真面目さは視聴者に煙たいと思われるようなタイプのものではないだろう。
 “キチンと生きている”と言えば、バスで暴走を始める前に、宮島が乗客がいない事を確認し、バスの行き先表示を「回送」に変え、自分の会社にこれからルートを外れて走る事を電話で告げるという描写がある。犯罪同様の事をする前に、他人への迷惑を最低限に留めるために手を打っているわけだ。携帯電話がない時代なので、電話ボックスに入って連絡をするのだが、バスを停めるカット、バスを降りるカット、電話をするカットと、カットを重ねている。彼の決意を感じさせる演出だ。宮島のその生真面目さも、そういった部分をわざわざ描いているところも『魔美』らしい。そして、原恵一監督らしい。

■第87回に続く


[DVD情報]
「エスパー魔美」DVD-BOX下巻〈期間限定生産〉
価格/60900円(税込)
発売日/12月8日
発売元/シンエイ動画、フロンティアワークス
販売元/ジェネオン エンタテインメント
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(06.12.04)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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