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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ

 70年代末の第1次アニメブームは、宇宙アニメのブームでもあった。その時期の人気アニメの多くが宇宙を舞台にしたSFアニメだったのだ。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が宇宙を舞台にしているのは言うまでもない。『サイボーグ009』や『Dr.スランプ アラレちゃん』、『パタリロ!』ですらも、映画になると主人公達が宇宙へと飛んでいった。手塚治虫も出崎統も、その頃には宇宙SFアニメを作っている。
 宇宙SFアニメが沢山作られた理由のひとつは、アニメブームが「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」を中心にしたSFブームとリンクしたものであったという事。もうひとつが、宇宙を舞台にしたロマンチックな冒険の物語が、当時のアニメファンの嗜好に合っていたという事である。

 スタッフに目をやると、実は、第1次アニメブームは虫プロブームでもあった。日本のアニメ界には幾つかのプロダクションやスタッフの流れがあり、東映動画(現・東映アニメーション)と虫プロダクションが、その2大ルーツなのだ。今でも「東映系」「虫プロ系」という言葉が使われている。
 手塚治虫が設立した虫プロダクションは、1973年に倒産しており、在籍していたスタッフはアニメブーム期には他のプロダクションで仕事をしていた(倒産した虫プロと、現在ある虫プロは別の組織だ)。『宇宙戦艦ヤマト』を作ったオフィス・アカデミーは、虫プロ出身のスタッフが設立したものであるし、『機動戦士ガンダム』を製作した日本サンライズ(現・サンライズ)も同様だ。『宇宙海賊キャプテンハーロック』や劇場版『銀河鉄道999』は東映動画の作品だが、監督は虫プロ出身のりんたろうだった。荒木伸吾、杉野昭夫、安彦良和、金山明博と、ブーム期にファンの人気を集めたキャラクターデザイナーも虫プロ出身者が多い。
 勿論、ブーム期に他のプロダクションもよい作品を作っているのだが、こうして振り返ってみると、第1次アニメブームの中心にあったのは、虫プロ系列のクリエイターであり、プロダクションであったのだなと思う。虫プロ的な華美な作風、あるいはメリハリを効かせた作り方が、当時のアニメファンの求めるものとマッチしていたのだろう。

 あるスタッフやプロダクションについて「東映系」と呼ぶ場合、現在の東映動画ではなく、1950〜60年代の長編時代の東映動画出身のスタッフ、あるいはその流れを汲むプロダクションを指す場合が多い。何故ならば、TV時代に入ってからの東映動画は、TVアニメに合った作品作りをしているし、外部のプロダクションからスタッフが入っており、必ずしも長編時代のテイストを保持しているわけではないからだ。今ならシンエイ動画、亜細亜堂、スタジオジブリが東映系のスタジオだ。現在でも、その血筋は脈々と受け継がれている。これから数回にわたって触れる事になる宮崎駿は、東映系のクリエイターの代表選手のひとりだ。
 それまで高畑勲のパートナーとしての仕事が多かった宮崎駿が『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』で、自分の作品を手がけるようになった。それが1978年頃。つまり、アニメブーム時期だった。今思えば、その頃に監督としての活動を始めた事は、彼にとって残念な事だった。『コナン』も『カリ城』もアニメ史に残る傑作であるし、誰が観ても面白いタイトルだ。だが、当時、宮崎駿がアニメブームの中心に来る事はなかった。『カリ城』を見ればそれが分かる。この作品は『ルパン三世』の劇場版第2作だ。第1作である通称『マモー編』が大ヒットしたのに対して、興行的には決して成功したとはいえない。『マモー編』の監督が、虫プロ出身の吉川惣司であり、いかにも虫プロ的な洒落た仕上がりだったのが象徴的だ(しかも,SF仕立てで最後には宇宙ロケットも出てくる!)。
 
 勿論、例外はあるが、虫プロ系の作品は華美であり、表現に飛躍がある。先鋭的と言ってもいいだろう。それに対して東映系の作品はオーソドックスで、優等生的。野暮ったい、泥臭いと見られる場合もある。若者向けというよりはファミリー向け、子ども向けだ。宇宙のロマン、派手な戦闘、美形キャラに胸をときめかせていた当時のアニメファンにとって、東映系の作品は「何か違うもの」だったはずだ。
 自分の事で言えば、本放送時に『未来少年コナン』に当惑した思い出がある。実に面白い。かつてないくらいにワクワクした。だけど、当時のファンにとっての主流と、ビジュアルも世界観も違いすぎた。アニメのスタイルもクラシカルだった。『宇宙戦艦ヤマト』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』が最先端だとすると、『未来少年コナン』はあまりに「古いアニメ」だったのだ。前回も書いたように、当時の僕は「アニメは子どものものではない。自分達が観てもおかしくない、格好いいものなのだ」と思っていた。アニメとは若者のためのものであり、新しいものだと信じていたため、『未来少年コナン』が大きな括りとしては、『ヤマト』や『ハーロック』と同じSFアクションものでありながら、そういった「アニメらしいアニメ」からあまりに遠いものであり、しかも、それがすこぶる面白いという事実を、自分の中ですぐには整理できなかった。これは「アニメ」ではないのではないか。なのに面白い。どうしてだ? 勿論、この場合の「アニメ」は狭義のアニメである。現在における「アニメ」という語とも、若干ニュアンスが異なる。
 
 今なら、本放送時に『未来少年コナン』に感じた当惑を整理できる。つまり、『未来少年コナン』は「TVマンガ」的、「マンガ映画」的な作品だったのだ。アニメブームの直中において、中学生の僕は頭が固くて、その魅力を堪能しながらも「アニメもいいけど、マンガ映画もいいぞ」とすぐに思う事ができなかったわけだ。
 『マモー編』がヒットして、『カリ城』が興行的に振るわなかったのは『マモー編』が「アニメ」であり、『カリ城』が「マンガ映画」だったからだ。『カリ城』は西洋の古城を舞台にお姫様を助け出す、というプロットからして、マンガ映画的だった。まるで流行のアニメに背を向けて、意識的にマンガ映画であり続けようとしているかのようだった。
 
 宇宙を舞台に夢やロマンを描く華美な作品が、アニメブーム期の主流であり、そこから離れている宮崎駿の作品はマイナーな位置にいた。しかし、程なく宮崎作品がアニメファンの注目を集めるようになり、やがて、アニメ界のメジャーとなっていく。マイナーとメジャーが逆転した。それを仕掛けたのが雑誌「アニメージュ」なのである。その話は次回に。


 

■第68回に続く


(06.08.11)

 
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