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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第33回 アニメ雑誌生活20年!

 今日は僕の誕生日で、42歳になった。40歳になった時に「これから仕事の仕方を変える!」と宣言したのだけど、全然変わっていないなあ。相変わらず要領よくできるようになっていない。

 先日、昔のアニメージュを見ていたら、僕は1987年2月号でコラム原稿を書いていた。「新人類あにめ診断」というページで、テーマは『北斗の拳』97話と『めぞん一刻』37話。『北斗』の方では「パースのついたラオウVSジュウザは『エミ』の菊池通隆さんが作画担当。ハッタリのきいたフォルムとスピーディな動きでなかなかの迫力」とか「20秒もある『あたた』のまわり込みカットは合田浩章さん。絶妙のタイミングと力強い描線。拳が悪人に当たる瞬間にエフェクトが入るのも大変気持よく、思わずコマ送りしてしまう」なんて書いている。今とまるでノリが変わってないのは、我ながらあきれてしまう。「ここは菊池さん」「ここは合田さん」と断言しているのは、多分、裏を取って書いているのだろうけど、どうやって裏をとったのかまるで覚えていない。うーむ。ちなみに同じ記事で、一緒にコラムを書いているのはデータ原口さんと、マンガ家ののつぎめいるさんだ。

 1987年2月号という事は、1987年の1月に発売された号であるわけで、原稿を書いたのは前年の12月。すると、僕は1986年末にはアニメージュ編集部で仕事をしていた事になる。このコラムが初原稿ではなく、その前に細かい仕事をしているはずなのだけど、バックナンバーをひっくり返しても見つからなかった。ひと月おいて、1987年4月号からレギュラーで編集に参加しており、夏には単独で作品の記事を担当。年末には「熱烈再見」シリーズをひとりで構成している。早いなあ。
 アニメージュで仕事を始めたきっかけは、先に編集部に出入りしていた友人の小川雅久くんの紹介だった。「仕事ができそうなやつがいますよ」と、編集部に言ってくれたようだ。あっという間に記事を任されるようになったのは、当時のアニメージュが、フリースタッフの選手層が薄かったたためでもある。ちゃんと調べた事はないが、アニメージュの歴史の中で、フリースタッフが世代交代していった時期だったのだろう。

 これは今だから言える事だけど、最初はアニメージュで仕事をしたくなかった。すでに当時のアニメージュは黄金期を過ぎており、「今のアニメージュで働くのは、マニアとして堕落ではないか」と思っていたのだ。我ながら大変な自意識の強さだ。だけど「堕落する」と思うくらい、当時のアニメージュはテンションが低かった。
 いざ始めてみたら、やりがいを感じて、すぐにノリノリになった。やっぱり僕はこの仕事に向いていたのだろう。自分で言うのもなんだけど、まるで、アニメージュで仕事をするために、子どもの頃から修行してきたような人だった。入稿の仕方、フィルムの接写の仕方(当時のアニメージュでは、16ミリや35ミリのフィルムを借りてきて、それをライターがカメラで接写して記事で使っていた)などは教わったけど、他はアマチュア時代のノウハウで乗り切った。記事のコンセプトも、ほとんど自分で決めていたと思う。当時の編集長は、現在ジブリにいる鈴木敏夫さんで、僕は敏夫さんに担当してもらう事が多かった。最初の頃から好きなように仕事ができたのは、敏夫さんが任せてくれたおかげだ。

 TVアニメーションワールドというページを、覚えてる読者もいるだろう。通称は「アニワル」。TVアニメに関する事なら、何を取りあげてもOKなコーナーで、原口さんや小川雅久くん達と一緒に担当していた。アニメージュで仕事をはじめた頃の、僕のメインの仕事であり、前述の「新人類あにめ診断」もアニワル内の記事だ。気になるスタッフに取材したり、設定資料を掲載したり、フィルムストーリーをやったり。一時期のアニワルは、本当にやり放題だった。
 やたらと藤子アニメをとりあげ、『ミスター味っ子』をプッシュし、森川滋演出の『きまぐれオレンジ★ロード』異色作をフィルムストーリーにした。アニワル内に「PROFESSIONAL INTERVIEW」というコーナーがあり、僕は前田実さん、須田正己さん、浦田又治さんといった方のロングインタビューをとった。まだ、『ドラえもん』の各話演出だった原恵一さんに取材した事もあった。あれが原さんの最初の記事であるはずだ。「THE原画ファイル」というコーナーは「気になったアニメの原画を載せるだけ」という無闇にマニアックなコーナーで、『超音戦士ボーグマン』のOP&装着シーン、『プロゴルファー猿』の大森英敏さん、山形厚史さん、山下明彦さん、『ドラえもん』の大塚正実さんの原画などを掲載した。「にっぽん若手動画屋列伝」は、当時の若手原画マンを取りあげる連載だったが、これは僕ではなくて小川雅久くんの担当だ(一度だけ僕が代わって担当した回がある)。大平晋也さんのオリジナルイラストが載っていたりするので、気になる作画マニアはバックナンバーをチェックしてみるといいだろう。30年近いアニメージュの歴史の中でも、1987年あたりのアニワルは、ちょっと異色の存在だ。ちなみに、アニワルの編集部側の担当は、やはり後にジブリに行った高橋望さんである。
 ライター初期に、アニワルに参加できたのは幸運だった。最初に「仕事で好きな事をやる楽しさ」をたっぷりと味わう事ができた。

 アニワルから20年。その間に、僕はアニメの企画や、作品の広報の仕事もした。仕事のメインがLDやDVDなどのパッケージの編集だった時期もある。だけど、全くアニメ雑誌から離れていた時期はない。縁遠い時期でも、年にひとつは雑誌の仕事をやっている。20年間も、アニメ雑誌の仕事を続けられるなんて思ってもいなかった。
 『ど根性ガエル』の町田先生は「教師生活25年!」が口癖だ。僕は子どもの頃、失礼な事に、25年も同じ仕事を続けている彼を、老人のように思っていた(あれ、町田先生って40代なの?)。だけど、僕もそんなに遠くない未来に「アニメ雑誌生活25年!」になってしまいそうだ。いや、あと5年続けられたらいいなと思う。先日、知人に「俺もアニメ雑誌生活20年なんだよ」と話していたら、いつの間にかロフトプラスワンで、それを記念したトークイベントをやる事になってしまった。イベントタイトルは「アニメ様のアニメ汁(仮)」だそうだ。なんだよ、そのタイトルは? だいたい、俺のイベントって何をやるのよ?
 それと別に、アニメージュで連載している「この人に話を聞きたい」の単行本化も進めている。その詳細はまたいずれ。
 

■第34回へ続く


(06.05.01)

 
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