アニメ様365日[小黒祐一郎]

第290回 マニア同人誌からアニメ雑誌に

 ここまでもチラチラと話題にしてきたが、僕は学生時代にマニア同人誌を作っていた。原画などの資料を集めて、スタッフに取材をし、記事にしていた。取材は、自分でスタジオに電話してアポをとった。連絡先が分からない場合は、分かりそうな人を探して教えてもらった。できた本は、見返すと素人っぽいというか、子どもっぽい仕上がりではあるのだけれど、熱心に作っていた。いずれパソコンで編集ができるようになるなんて、夢にも思っていなかった。当然、編集作業はアナログだった。原画や設定を縮小コピーして、マンガ原稿用紙に貼っていた。文字はロットリングを使って手で書いていた。すでに家庭用のワープロが普及し始めており、持っている友達もいたが、書体は選べないし、字間や行間も自由にならなかった。だから、それをメインで使う事はなかった。
 結果的に、僕はその同人誌のノウハウで、アニメ雑誌の仕事をはじめる事になる。写真入稿の段取り、フィルム接写のやり方などは、アニメ雑誌の仕事を始めてから教えてもらったが、改めて学んだのはそれくらいだ。仕事を始めるようになって、すぐに自分で企画を出して、アポをとって、取材に行った。編集担当が取材についてきた事はほんどなく、いつも1人で行った(それは一緒に「アニワル」をやっていたデータ原口さん、小川雅久君も同様だったはずだ)。振り返ると、まるでアニメ雑誌で仕事をするためにアマチュア活動をしてきたようだったが、アニメ雑誌で仕事をしたいとは思っていなかった。前回も少し触れたように、アニメ雑誌で働く事に対して躊躇いがあったのだ。「今のアニメージュで働くのは、アニメマニアとして堕落ではないか」とさえ思っていた。
 堕落とまで思った理由はいくつかある。当時のアニメージュが、アニメ雑誌として非常に質が落ちていたのが理由のひとつだ。30年を越える同誌の歴史にあって、一番読み応えがなかったのが、1986年だろう。巻頭で「マニアはサブキャラが好き!」「東映動画マンガキャラ大行進」といった特集をやっていた頃だ。それらの記事は、アニメファンの嗜好ともズレていたし、記事としてもスカスカだった。全くもってイケていなかった。『Oh!ファミリー』『剛Q超児イッキマン』が表紙になった頃だと言えば、昔からの読者は「ああ、あの頃か」と思うかもしれない。ファミリー向けアニメやキッズアニメを取り上げるのは構わないが、取り上げ方が上手くなかった。僕はアニメージュ初期の充実した記事に影響を受けていただけに、残念に思っていた。
 そういった事情があり、アニメージュにライターとして参加するのを躊躇していたのだが、いざ、始めてみたら楽しかった。今のアニメージュがヌルいのだったら、自分達がマニアックな記事をやればいいんだと、すぐに考えが切り替った。「アニワル」では、僕達のアイデアがほとんど通った。担当の高橋望さんが、やりたい放題にやらせてくれたのだ。活躍が目立つスタッフに取材し、面白いと思ったエピソードをフィルムストーリーにした。TVアニメに関する情報ページという「アニワル」のコンセプトからは外れてしまうのだが、気になるCMも取り上げた事もあった。見応えのある原画をピックアップして、アニメーターのコメントと共に掲載する記事もやってみた。ベテランスタッフのロングインタビューも企画した。「PROFESSIONAL INTERVIEW」というタイトルで、第1弾が前田実だった。「PROFESSIONAL INTERVIEW」は、ひと見開きを丸々使った記事で、「アニワル」の1コーナーとしては破格のボリュームだった。僕としては、同人誌でやっていた事を、商業誌でそのままやらせてもらっている感覚だった。アニメ雑誌の仕事のごく初期に、そんな仕事ができたのは、非常に幸せな事だったと思う。
 1987年には、アニワル以外のカラー記事も任せてもらえるようになった。あんまりにもアニメージュの仕事が楽しかったので、ただでもあまり行かなかった大学に、ますます行かなくなってしまった。

第291回へつづく

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(10.01.21)