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アニメの作画を語ろう

animator interview
大橋学(2)


小黒 前へ出ていくようなタイプでないといけない、と。
大橋 そうですね。そうやって、みんなが自信に溢れている時に、自分は何か嫌になっちゃってたんですよね。
 でも、それだけに、『ホルス』だけはきっちり見ておこうと思ってね、夜中に見に行ってたんですよ。大塚さんは、常に原画を机の上に置いておくんですね。これはご自分で言ってたんですけど、描いてすぐだと判断できないんで、翌日に自分でチェックするようにしているという事らしいんです。それで、夜にスタジオを覗きに行くと、机の上に「見てください」っていう感じで、原画が置いてあるんです(笑)。魚が暴れて沈んでいくところとか、狼が集団で襲いかかるところとか。
 宮崎さんの原画も見ましたね。それはもう宮崎さんがやっている、と分かって見たんだけど、岩男のところを。3コマでやっているって言うんで。
小黒 あ、そうなんですか。
大橋 うん。しんちゃん(高橋信也)が大塚さんに聞いたんだよ。「長編でも3コマ使うんですか?」って。そうしたら、「ものによっては使うよ。巨大なものは、逆に2コマより3コマの方がいいんだ」って説明してくれた。どれも最高のシーンだったよね。
 ただ、心残りがあるとすれば、森やすじさんの原画は、当時あまり自分の関心がなかったのか、見なかったんだよね。今は、「森先生!」っていう感じだけど、当時はやっぱり木村さんの影響を受けていたから、大塚さんがいいなあ、と思ってた。
小黒 ああ、大塚さんが描くような派手な原画の方に興味が(笑)。
大橋 そうそう(笑)。
小黒 その後、東映動画をやめてフリーになられるわけですよね。
大橋 ええ。今から考えると、周りはみんな大人でしょう。なんか大人のやり方が嫌になってね、ついていけなくなってきちゃったんですよ。
小黒 それは「俺はこのままでいいのか」みたいな感じですか?
大橋 そう。当時、制作部の部長とも喧嘩しましたもんね。「もっと面白い作品を作らなきゃダメだ」てな事を言って。今から考えれば、いい部長さんだったんだけどね。
小黒 生意気だったんですね(笑)。
大橋 生意気なんですよねえ(笑)。長髪になったのもその頃(注1)。フーテンかルンペンかっていう感じで。で、フリーになってからはお手伝いみたいな仕事で食いつないでいた。
小黒 その頃ですか、『ファイトだ !! ピュー太』は?(注2)
大橋 ああ、そうですね。月岡さんが、ナックという会社にいて、その下で林静一さんと鈴木欽一郎さんが仕事をしていた。それで、欽ちゃんから頼まれた仕事なんです。当時、林さんはすでにアニメーション離れをしかかっている頃だと思うんだけど。何本放送されたか知らないけれど、確実に1本はやってる。
 あとは、『巨人の星』の動画をやったり……あ、あと、この時期には、『アパッチ野球軍』をやってるんです。ダンちゃん(森下圭介)が作画監督で、彼が風プロというスタジオを作ったんだけど、そこから仕事をもらって。結構やったんじゃないかな。あと、ポスターとかソノシートといったものに使う画は、俺が大体描いているはずですよ。
小黒 今で言う、版権ものですね。
大橋 あれもね、自分用のキャラクターデザインを作ったんです。漫画家の園田光慶の画に似せて、頭身を高くして、格好よく描いた……と言うか、描かせてくれたのね。そういう事を許してくれると嬉しいんだよね。そういうのがアニメーションをやるよさなんだけど。そんな事があると、またアニメーションも楽しいかな、って思うようになって(笑)。
小黒 ははは。
大橋 そうそう、Aプロダクションにいたこともあるんですよ。
小黒 えっ、そうなんですか。
大橋 20日間だけど(笑)。俺も結婚して子供が生まれる頃だったので、ちゃんと勤めなくちゃと思ったんですけどね。でも、難しかった。
小黒 Aプロとは意外な話でしたね。
大橋 でも、この頃、はっきりと転機になったのは、『あしたのジョー』を観た事だね。これはもうびっくりした。
小黒 と言うと?
大橋 まあ、とにかく毎週視聴者として楽しみにできる、っていう事が大きかったんだけど、特にね、原作よりも巧いんじゃないかと思えるような画を描く人がいたんだよね。しびれるような止め画。また、エンディングの力石が格好よくて。で、演出も格好よかった。で、虫プロの作品にちょっと憧れが出てきたんだよね。
 そんな頃に、虫プロ最後の頃の作品で、『国松さまのお通りだい』というのがあって、俺と同期の玉さん(玉沢武)が玉沢動画舎という会社を作っていたんだけど、そこから、やってもらえないか、という話がきたんだよ。しかも、『国松』は『あしたのジョー』のスタッフが制作しているっていうんで。そのスタッフには、俺も凄く関心を持っていたんで、半年ぐらいローテーションに入ったんです。そうしたら、スタッフがどうも俺に関心を持ってくれたらしいんだ。
小黒 おお。
大橋 当時、虫プロに遊びに行ったら、ある人が『ジョー』の最終回のコンテを見てたんですよ。それはほんとに凄いコンテだったんだけど、それを「それはどうだ、あれはこうだ」って説明してくれるんです。それが、当時設定をやっていた丸山(正雄)さん。勿論、丸山さんの名前は毎週画面にクレジットされていたから知っていたんだけど、何やってる人か全然分からない(笑)。
小黒 ははは。確かに、設定っていう役職はよく分からないですよね。
大橋 で、丸山さんは、俺の原画を見ていてくれたんだよね。俺は、『国松さま』をやる時に、『あしたのジョー』のスタッフとやるんだから、俺もちばてつやの画のそっくりにしようと思って、割と原作に忠実にやったんですよ。だから、キャラクターデザインとは変えてしまっていた……らしいんだよ(笑)。でも、それを認めてくれたらしくて、『国松さま』が終わった時点で、出崎(統)さんと丸山さんが、ウチを訪ねてきてくれたの。で、「虫プロは潰れちゃうけど、新しく会社を興すんで、仲間として来てくれないか」という話をしてくれたんだ。その場には、杉野さんは来なかったけど、杉野さんも俺の画を見てくれてはいたらしい。
 杉野さんとは『国松さま』の時に打ち合わせで顔を合わせたり、帰る方向が一緒なんで電車の中で話をした事はあったんだけどね。こっちは「憧れのあの人か」「あの画を描いた人か」と思ってたんだ(笑)。
小黒 なるほど。
大橋 とにかく、この時はミーハーだったね(笑)。当時は、どちらかと言えば、出崎さんよりも、画を描いていた杉野さんに対する憧れがあったかもしれない。で、そうなると、ついていきたくなっちゃうんだよね。それで、マッドハウスに行きます、という事になったんだ。
小黒 じゃあ、マッドハウスには、立ち上げから参加しているんですね。
大橋 そうです。最初は阿佐ヶ谷の材木屋さんの2階だったかな。人数は……たぶん、アニメーターは10人はいたと思うんだけど。アニメーターでは川尻(善昭)さんや佐々門(信芳)さんがいたね。で、机を1列に並べて、そこに座らされたんだけど、俺の隣が杉野さんだった。
 最初にやった仕事が『ガッチャマン』なんだけど、杉野さんが描く『ガッチャマン』がキャラ表よりいいんですよ。凄いとは思っていたけど、直に見るともっと凄い。ただ、杉野さんもムービーの作品だけは苦労したみたいね。
小黒 と言うと?
大橋 『ど根性ガエル』をみんなでやったんだけど、東映にいた、芝山(努)さんと小林(治)さんのプライドが凄くてね。つまり……なんか凄い火花散ったんだよね。
(注1)長髪
この頃から『ロボットカーニバル』の頃まで、長い間、長髪は彼のトレードマークだった。『ロボットカーニバル』当時の雑誌やムックの記事では、当時の彼の写真を見る事ができる。ちなみに、現在の彼はスキンヘッドである。

(注2)『ファイトだ !! ピュー太』
1968年放映のTVアニメ。原作・ムロタニツネ象。現在、1エピソードのみソフト化されているが、その1本がトバしたセンスと技術で作られた傑作にして、大怪作。後にイラストレーターとして知られるようになる林静一は、東映動画を経て、この作品にアニメーターとして参加しており、当該エピソードにその名を見ることができる。同エピソードに大橋学が参加している可能性もあり、今回の取材時にビデオを観ていただいたが、確証を得るには至らなかった。
小黒 ああ! マッドハウスとAプロの間で、ですね!(注3)
大橋 そう。とにかく、見事に全部直してきたね。修正と言うより、原画の上に原画をのせてくるような感じだった。
小黒 修正というレベルじゃなかったんですね。
大橋 うん。極端な事を言えば、作監修正の枚数が、原画の2倍から3倍あった(苦笑)。例えば、トラックの荷台に足を乗っけて乗り込むようなシーンがあったんだけど、足のくねりから何から動かし方が全然違う原画が入ってくるんだよね。あるいは、野球のフォームなんかもね。とにかくありとあらゆるもの。普段の仕事でもあそこまで直さないだろうっていうぐらいしつこく直してきたね。俺は元々東映だったからか、それほど直されなかったけど。……そうそう、大塚さんも一時期『ど根性』の作監をやってたんだよね。
小黒 大塚って、大塚康生さんですか。
大橋 うん。大塚さんは小林さんみたいにビュンビュン直しちゃうんじゃなくて、ポイントをとる修正だったね。「こうやったら、もっと効果的になる」っていうような。これは俺の原画の例だけど、指をパチンと鳴らす場面で、普通は指を鳴らす前と開いた状態を原画で描いて、後は動画任せになるんだけど、大塚さんは、その間に離れる瞬間の画を入れてくれるんですよね。
 まあ、だから、Aプロの人たちは、虫プロ出身のアニメーターは未熟だろうと思っているわけ。東映にいた人はみんなそう思ってる(笑)。だから、そういう意識からくる修正の仕方なんだよね。実際、小林さんは凄く、また巧かった。
小黒 小林さんなんですか? 芝山さんじゃなくて。
大橋 俺はその後の『ガンバの冒険』で芝山さんの巧さを知るんだけど、その時はまだ知らなかった。『ど根性』では、小林さんが特に凄かったと思う。作画打ち合わせで杉野さん達を目の前にして、動きのノウハウっていうか、動きのイロハから身振り手振りで説明するんですよ。
小黒 素人に説明するように?(笑)
大橋 そうそう(笑)。向こうは、杉野さんの存在をよく知らないし、杉野さんも口で主張するような人ではないから。小林さんは、「よくこういう原画があるけど、そんなのは原画じゃない」って、いちいち説明するわけです。俺も黙って聞いていたけどね(笑)。
小黒 なるほど。一応、確認しておきますが、当時のマッドハウスのメンバーは、虫プロの流れの方だったわけですね。
大橋 うん、制作の人も、演出助手もみんな虫プロっていう感じで、外部から来たのは俺だけだったんじゃないかな。みんな『ジョー』をやっている人達だっていう意識があるから、俺は緊張していたね。
小黒 なるほど。東映の作法とは違っていたけれど、『あしたのジョー』的には、みなさん巧かったわけですよね。
大橋 そうだね。あのね、杉野さんと全然違うんだけど、俺が面白いと思ったのは川尻さんだったね。当時はまだ新人のようだったけど、あの原画の真面目さにはびっくりしたね。
小黒 真面目、と言うと?
大橋 紙がね、鉛筆の線で真っ黒になっているんですよ。今から思えばね、ああでもないこうでもないって次々に紙を載せて描いていくところを、全部1枚の紙に下描きしているんだよね。俺なんか、1本間違えた線を引くと、もうそれだけで捨てちゃうもんね(笑)。「ここまでは俺はできないよ」って感心したよね。
小黒 なるほど。
大橋 それから杉野さんは完成度の高さが素晴らしかった。下書きから何から、画を捉えているよね。頭の中でもう構成しているから、最初に描いた線が活きてるんだよ。その後、『コブラ』をやっている時に分かったんだけど、杉野さんは薄く下書きしてるんだよね。川尻さんが黒く描いてしまうところを……。
小黒 ああ、鉛筆線を薄く引くんですね。
大橋 そう。初心者が丸を描いて十字を切るみたいなのじゃなくて、もうちょっとイイ感じの、ぼんやりとできてくるような線を引いていくんです。で、決めたら、その上にズイッと線を引いていくんです。
小黒 ああ、杉野さんの作監修正を見ても、確かに下の薄い線が見えますよね。話を戻しますけど、マッドハウスにその後もずっといらっしゃるわけですよね。
大橋 いや、一旦辞めてしまうんだよ。
小黒 え、そうなんですか。
大橋 「アニメーション辞めたい病」が、何年かに1度出るんだけど、2度めのが出てね。もしかしたら、夢と現実のギャップに耐えられなかったのかもね。つまり、虫プロの『あしたのジョー』のスタッフでしょ? それが東京ムービーの仕事を請けてやってて。自分達の作品をやりたいっていう夢はみんな持っているんだけど、すぐには実現できない。『(ジャングル)黒べえ』は、椛さん(椛島義夫)と杉野さんが初めて組んだ作品なんだけど、ムービー色が強くて、どちらかと言うと、杉野さんの色が出るような作品じゃない。出崎さんにこういう面があるんだ、っていうのは分かったけど、やっぱりあの、熱い『あしたのジョー』とは違う(笑)。それに、自分としては絵本を描きたいっていう思いがあって、それで、とにかく半年ぐらいアニメの仕事を辞める、って決めたの。
小黒 ははあ。
大橋 でも、半年じゃ絵本なんてできないんだよね(笑)。結局、休んでいる半年の間に構想を練って、旅に出たりもしたんだけどね。本になったのは、その7年後だよ。
小黒 それが「雲と少年」なんですね。『ロボットカーニバル』の「CLOUD」の原型になった。
大橋 そう。
小黒 それで、アニメに戻って来られた時の最初の仕事が『ガンバの冒険』への参加という事になるんですか?
大橋 いや、その前があって、今のサンライズの『ゼロテスター』にレギュラーで入ってたんだ。それで、その次回作の『勇者ライディーン』の1話を少しやったんだけど……ロボットと言っても、色々パーツが付いているんだよ、あれは(笑)。「もうこれは自分にやれない」って言って、降りちゃった。
 そうしたら、ちょうどマッドハウスのおおだ(靖夫)社長から電話がかかってきてね、今度やるのは、俺に向いているって言うんだ。それならというんで、フリーの立場で引き受けたんだよ。半年間、川尻さんと半パートずつね。あの作品は、最終回をやった事は覚えている。
小黒 最終話はA・Bどちらのパートをやられたんですか。
大橋 Bパートの方。
小黒 ああ! じゃあ、あれですね「朝だ朝だ朝だい。気持ちのいい朝だぜ。ヘヘ……」ってイカサマが顔を洗って笑うところとかも。
大橋 そんなの覚えてないけど(笑)。異色作でしたよね。俺の中でもポイントになったという事で言えば、『あしたのジョー』に次ぐ作品だね。
小黒 じゃあ、内容的にも乗れたんですね。
大橋 うーん、俺っていつもひねて考えているんで、実際やっている時は、どちらかと言うと「フン」って気持ちがあったなあ。
小黒 ああ、「ねずみじゃんか」みたいな?
大橋 うん。『宝島』の時も、そういうような斜に構えた気持ちはあったなあ。だから、純粋に気持ちを込めたのは『家なき子』かな。
(注3)マッドハウスとAプロダクション
当時のマッドハウスは虫プロ出身のスタッフが大半で、Aプロダクションはかつての東映動画の流れを汲むスタジオだった。70年代の東京ムービーでは、マッドハウスをはじめとする虫プロ系スタッフと、Aプロダクションが同じ作品に参加し、その両者が互いを意識し、影響を与え合った。虫プロ系と東映系の個性が理想的なかたちで結実した傑作が『ガンバの冒険』であり、『元祖天才バカボン』なのだ。

●「animator interview 大橋学(3)」へ続く

(01.09.14)




 
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